偽名でステージに出た。あの曲いいね、客のひと言で本当の自分に戻った。間々田優、感情突き刺し系シンガー

引用元:中日スポーツ
偽名でステージに出た。あの曲いいね、客のひと言で本当の自分に戻った。間々田優、感情突き刺し系シンガー

 24歳まで楽器も弾けなかったのに、ミュージシャンになると決めるや本当に実現してしまった―。2月26日に通算5枚目のアルバム「平成後悔」を出したシンガー・ソングライター、間々田優(37)。バイオリンを思わせる独特の歌声を1本のギターに乗せ、不意に人の心に刃を突き立てる。“感情突き刺し系シンガー”がどう生まれたのか探った。

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 24歳のある日、ミュージシャンになる、ステージに立つのだと決めた。別れた男は今夜も渋谷のライブハウスに出演するのだろう。振り切るためには自分も同じ場所に上がっていくしかない、そう思った。「まずギターが必要だ、と考えた。弾けもしないのに。実家に妹のギターがあったのを思い出し、急いで取ってくると、片っ端からライブハウスに出してくれと電話しました」

 オーディションを受けるにはオリジナル3曲が必要。そんなことも知らなかった。「指3本以内で押さえられるEmとAmの2コードだけで曲を作って、デモテープを送り付けました」。生まれて初めてギターを手にして1年、本当にステージに立っていた。「そこで分かった。子どものころからずっと求めていた場所はここだったんだと」

 茨城県の内陸、古河市で育った。「なーんもないところ。そこで陰々滅々と生きている自分が嫌で嫌で仕方なかった」。中学までは漫画家を目指していた。それが地域一番の進学校へ進むと不登校に。「登校するふりして時間をつぶし、親が仕事で家を出ると戻って音楽を聴いてた」。何の価値もないと思い知らされた優等生にとって、音楽だけが救いであり、負の感情を受け止めてくれる唯一の逃げ道だった。

 高校3年の進路決定の三者面談で「大学なんて行かない。ミュージシャンになる」と宣言。進路指導は諦めさせようと「夏休みの間、ミュージシャンを見てこい」と提案。言う通りに東京へライブ通いした間々田は、夏休み明けの面談で「あれならできる」と自信たっぷりに押し切った。「でも、大学で軽音楽サークルに入ってもお飾りのボーカルで、わがままなミュージシャンの“ふり”をしてただけでしたね」

 ギターを手にして2年後、2007年にはメジャー事務所入りし、初のアルバム発売。ところが10年6月、突然活動を休止する。「何のために、誰のために歌うのか…煮詰まってしまった。それから4年、ただ部屋でテレビを見てた」。あまりにとんとん拍子に駆け上がった反動だったかもしれない。「休止4年目、偽名でステージに出た。持ち歌を歌ったら、帰り際にあるお客さんが『あの曲いいね』って言ってくれた。自分を隠していても、曲が人の心を動かした。それまでの私の曲のために、ステージに戻ろうと思いました」

 今も全国のライブハウスをツアー中。街角で悲しくも優しいバイオリンの音が聞こえたら、それはきっと間々田の歌。店に入れば、なーんもない空間の中で、間々田が風のように寄り添う。そしてささやくのだ。まだ遅くない、思い続ければきっとあなたの求める場所にたどり着く、と。

◇間々田優(ままだ・ゆう) 1982(昭和57)年8月4日生まれ。妹と両親の4人家族。就職活動もせず大学時代から喫茶店でフルバイト。2005年にギターを弾き始め、07年に音楽事務所入り。08年にアルバム「嘘と夢の何か」でデビュー、09年にセカンドアルバム「予感」リリース。10年から13年まで活動休止。14年にミニアルバム「果実」、18年「女女女女」、そして20年「平成後悔」リリース。