デビュー25周年・水森かおり 崖っぷちから“ご当地ソングの女王”に 「全国を回って、みなさんとの出会いが本当に楽しい」

引用元:夕刊フジ
デビュー25周年・水森かおり 崖っぷちから“ご当地ソングの女王”に 「全国を回って、みなさんとの出会いが本当に楽しい」

 今年でデビュー25周年を迎えた。

 「デビュー当時は“うちの娘と同い年だ”なんて言われていましたが、最近は“お母さんと同い年です”になりましたし…」と冗談めかす。

 デビュー以来、シングルのジャケットも自身が飾ってきただけに、どの写真にも思い入れがある。最近はノースリーブが定番とあって、『水に咲く花・支笏湖へ』(2018年3月)ではこんなエピソードも。

 「実は撮影は河口湖(山梨県)なんです。撮影は1月ごろで、風も強くて、本当に寒かったんです。で、腕を出しているでしょ。たくさん撮ったのですが、ほとんどボツでした。寒さを顔が隠しきれなかったんです」

 25年目の新シングルは『瀬戸内 小豆島』。

 「瀬戸内というとキラキラした海に穏やかな波ってイメージ。でも、この歌は全然違うんです。音域も広くて、スケールも大きくて、“荒波がザバーン”みたいな曲なんですよ。海は穏やかなんですが、女の気持ちは揺れ動くんですよ」

 “ご当地ソングの女王”として知られる。1999年の『竜飛岬』から数えると足かけ20年。シングル・アルバム収録曲併せて116曲に及ぶ。

 「私としては、2002年の『東尋坊』がターニングポイント。この曲で自分の世界がみるみる変わっていったんです」

 当時、デビューから8年目を迎えていた。

 「私も30歳を前にしたときで、スタッフから、もうそろそろ歌手として地位を確立しないと後がないと言われたんです。今までは現状に甘んじていると。私なりに頑張っていたんですけど、痛いところをつかれて…」

 ■転機は『東尋坊』

 そしてシングルに選ばれたのが『東尋坊』だ。

 「歌も崖っぷちだけど、私も崖っぷちなんだなと。作曲した弦(哲也)先生からは『きれいな歌い方は一切忘れろ。青筋立ててでもこの歌の世界にがむしゃらに食らいついて歌いなさい』と言われました。でも、それがよかったんですね」

 初めて手応えを感じたという。違うレコード会社の関係者から「いいね」と言われたことも。「今回の水森はきている」と言われていることも耳にした。

 「今まで紅白は目標でもない、夢のまた夢でしたが、それを狙いたい、頑張ろうという気になったんです。憧れから目標に変わりました。でも『東尋坊』ではかないませんでした。そのとき、初めて選ばれない悔しさを経験したんです」

 歌手として一回り成長した。そして次に出合ったのが『鳥取砂丘』(03年)だ。この曲でついにNHK紅白歌合戦に出場することができた。以降、昨年まで17年連続で出場を決めている。

 「『東尋坊』『鳥取砂丘』ときて、その次が『釧路湿原』だったので、そのときに、ご当地路線で確定なんだと思いましたね。でも、“ご当地と言えば水森”と言われるようになって…、自分でも予期しない形で道ができた感じです」

 実は、曲ができあがってくるまで、次はどの土地を歌うのか聞かされないという。

 「一度、ディレクターさんの机のうえに、旅行雑誌が置いてあるのが目に入って。ちょうど新曲をつくる時期だったので、見てしまった…なんて思っていたら、全然違う場所でした。ディレクターさんのプライベート旅行用だったそうで…」なんてことも。

 家族が歌が好きだったこともあり、幼い頃から歌に囲まれていた。

 「2歳7カ月のときに森昌子さんの『せんせい』を歌っているテープが残っています。森さんの大ファンで、デビューしてお会いできたときは本当にうれしくて…」

 ■森昌子さんから…

 そんな思いが伝わったのか、昨年で引退した森さんから衣装のドレスが届いた。

 「森さん自ら私に似合いそうなドレスを選んでくださって。しかも3着も。もう段ボール箱を開ける手が震えましたよ。森さんの歌を受け継いでいきたいと強く思いました。もちろん、まだ袖も通せないですよぉ」

 水森かおりにとって、歌とは…。

 「下町生まれなんで、人との触れ合いで育ってきたんです。歌手になって、ご当地ソングのおかげで全国を回って、みなさんと触れ合える。その出会いが今は本当に楽しいですね。本当に歌のおかげです」

(ペン・福田哲士/カメラ・酒巻俊介)

 ■水森かおり(みずもり・かおり) 歌手。1973年8月31日生まれ、46歳。東京都出身。短大在学中に行った米国留学での体験をきっかけに歌手になる決意をする。95年、『おしろい花』でデビュー。2003年、『鳥取砂丘』のヒットでNHK紅白歌合戦に初出場。04年の『釧路湿原』以降、オリコンのシングルチャートでTOP10入りを続けている。“ご当地ソングの女王”とあって、観光大使の就任も多く、鳥取砂丘観光大使など21カ所で務めている。