□TOKYO FM「ラジアンリミテッドF」パーソナリティ
「世紀末」と騒がれた1999年4月に産声をあげたFM番組「やまだひさしのラジアンリミテッド」(TOKYO FM/JFN系)。浮き沈みが激しいラジオ界で放送時間帯、曜日をいくつか経ながらリスナーをひきつけ続け、はや20周年を過ぎようとしている。
この長寿番組を体当たりで支えてきたのがこの人。当初こそ無名だったが、ゲストに早口でまくしたてて迫る持ち味がウケにウケ、番組とともにその名をとどろかせた名物DJだ。
「今でも思うけど、単純に宝くじに当たったようなもの。人気DJだった赤坂泰彦さんが番組を去り、『1年間、誰でもいいから好きに担当させろ』と。知り合いのスタッフにラジオを勧められて乗っかったというのが本音で、僕と20代のディレクター、放送作家で立ち上げた。もしダメでも『若手がやんちゃした』で済ませようという雰囲気だったよね。普通を求められていたら、僕は選ばれていなかった」と振り返る。
田舎育ちで「単純に超有名人になりたかった」が原動力。DJというきっかけをつかむや、GLAY、嵐、モーニング娘。、広末涼子…ビッグネームと共演する機会を得てエンジンはおのずと全開になる。
結果はすぐに出た。無名DJが有名人に食って掛かるスリリングなトークが話題を呼び、スタート翌年の2000年、優秀な番組、個人、団体を表彰する「第37回ギャラクシー賞」を個人、番組それぞれで受賞した。
業界での快挙を手中にするも、舞い上がることはなかった。
「北海道から上京して10年が経過。俳優、お笑い芸人、歌手を志したけど食えない。そのなかでラストチャンスだったからね。芸人では爆笑問題、ホンジャマカ、さまぁ~ずは同期で先に売れた。もんもんとして過ごす日々で、地元では高校の後輩、大泉洋がブレークして…」
■“熱すぎる男”スタジオで酸欠
トレードマークの話術は、仕事がないころ、各所で“熱め”に売り込みをした姿を見た番組スタッフが「性格を生かしてマシンガントークをさせよう」とひらめいたことに始まるという。その“熱さ”だからこんなアクシデントも。
「番組開始当初はとにかく台本が細かくて。2時間の生放送で数十ページ。読むだけで大変だったけど、集中して全部読もうとしていた。すると1カ月後のある日、突然、酸欠になり、スタジオで倒れた。白目になった僕に気づいたディレクターが慌てて『息して!』って」
徹底した秘密主義と独自路線で知られる。番組表に顔を載せず、リリー・フランキーが手がけた自身のイラストをあしらい、年齢は非公表。自ら発する言葉はもちろん、“普通”を許さない。
「『カモン!』も長すぎるから『カムッ!』って切って伝えたり。周りはざわついたけど(笑)。北海道弁にもこだわって、例えば『がっつり』(=超、すごい)。ある女性アイドルがゲスト出演した際、『曲をがっつり聴いて』と紹介したら、曲間に本人、スタッフが『あの言葉、どういう意味ですか』と。人に興味を持たせる上で“ヘン”って大事だと思う」
がむしゃらに駆け続けたこの期間、他のメディアとコラボレーションしたり、番組が放送される全38局をエコカーで回って生放送したり。リスナーを地方に招待するなど現場主義を意識しながら、新たな形を探し続けてきた。
■世界中どこからでも出演可なシステムを
一区切りを終えようとしているなか、何を思う?
「今は、外からでも番組出演できるインフラが整備されていて、スタジオに来る必然性はもう、ないとも言いたい。だけど、現実には回線が切れた場合に備えて生放送のスタジオを無人にはできない。そろそろ認可制でIPアドレスをもらった携帯からなら世界中、どこからでも公共性を担保した番組出演ができるみたいなシステムが実現してほしい。機動力をどうラジオに融合させるか。そうすればまだまだ面白くなる」
現在、月の半分は海外で過ごし、ノマド生活を続ける。今も昔も変わらない「楽しさを感じたモノだけを届ける」…このスタンスに磨きをかけながら、今日もまくし立てる。(ペン・山戸英州/カメラ・萩原悠久人)
■やまだ・ひさし ラジオDJ。5月4日生まれ。北海道出身。年齢非公表。高校卒業後に上京し、俳優、お笑い芸人、歌手を経て、1999年4月、ラジオ番組「やまだひさしのラジアンリミテッド」のDJに。翌年「第37回ギャラクシー賞ラジオ部門 DJパーソナリティー賞」受賞。ナレーション、イベントMCとしても活躍する。現在は「ラジアンリミテッドF」(金曜深夜1時)のほか、ゴルフ、グルメ、旅を題材にした番組をYouTube「やまちゃんねる」で配信中。
浮き沈み激しいラジオ界で20年! DJ・やまだひさし “熱すぎる男”スタジオで酸欠?
引用元:夕刊フジ