蔦谷好位置、今でも亀田誠治に平謝りすることとは?

引用元:J-WAVE NEWS
蔦谷好位置、今でも亀田誠治に平謝りすることとは?

J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。3月7日(土)のオンエアでは、音楽プロデューサー・作曲家の蔦谷好位置がゲストに登場。YUKI、米津玄師、back number、Official髭男dismなどさまざまなアーティストの楽曲を手がける蔦谷の音楽遍歴を紐解きながら、自身のバンド・CANNABIS時代に起こした衝撃の出来事や、新プロジェクト「KERENMI」の活動について訊いた。

幼い頃からプロデューサー気質だった

クリスとゲストがビールを飲みながらお届けする同番組。ゲストはおつまみを持参するのが恒例だ。この日、蔦谷が持ってきたのは明太子の皮を乾燥させた「博多なかなか」。また、レンジであたためたチータラも好きだという。カリカリな食感となり、「すべてのあての中で、いちばんうまいと思うんですよ」と力説した。

蔦谷がピアノを習い始めたのは、3歳くらいのころ。小さい頃から音楽と共に育ち、当時から“プロデューサー気質”だったそうだ。

蔦谷:今でもそうですけど、職業病なのか、映画でもなんでも人の作品を見ると「ここ、もうちょっとこうしたほうがいいのにな」って思ってしまうところがあるんです。小さいときから、トシちゃん(田原俊彦)の『ハッとして! Good』も「もっとこうしたら、より“ハッとして! Good”になるんだけどな」と思っていたところが、きっとどこかにありました。
クリス:そこからプロデューサー気質だったんですね。
蔦谷:人に文句を言うというか(笑)。僕のおやじが、野球とか見ながら「おい、そこはインコースだろ」とか言う昭和のおやじで。それを見て「こうしたらいい」って口に出していいんだ、と思ってたんじゃないですかね。

小学3年生のころ、パソコンの「MSX」を買ってもらい、打ち込みで音楽を作り始めた。坂本龍一や小室哲哉の音楽に影響を受けたという。小学6年生のころにはクラシックに目覚め、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンやレナード・バーンスタインに憧れを抱き、その後は指揮者を目指した。

蔦谷:中学2年のときにテレビでジャズピアニストのハービー・ハンコックと出会い、めちゃめちゃカッコいいなと思って。それまで、クラシックしかやってなかったから、こんな自由でいいんだと感じで、ハービー・ハンコックの『Cantaloupe Island』を完コピに近いくらいに一生懸命に練習していました。

ジャズに目覚めた蔦谷は、中学3年でハービー・ハンコックの曲をサンプリングした曲たちと出会い「人の曲でこんな風に変わるんだ」と衝撃を受け、そこからヒップホップなどにも持つようになったそうだ。

クリス:小さいころから音楽家になるって気持ちは芽生えていたんですか?
蔦谷:子どものころはプロにはなれないと思っていました。クラシックとかジャズの偉大な人たちが好きだったので。20歳のときに、ハービー・ハンコックのライブに行ったら、「一生、いや二生、三生かかっても、この人には絶対になれないな」ってくらい現役バリバリのころで、僕は当時、ジャズ研に入っていたんですけど、ジャズピアニストを諦めちゃったんです。でも、「自分はハービー・ハンコックみたいにうまくはピアノを弾けないけど、ポップスの曲とかは作れるんじゃないか」と自分で舵を取ったような気がします。