日程ずらせず現場は右往左往、不安だらけのGWデビュー 最大の問題は… 中森明菜の軌跡と奇跡

引用元:夕刊フジ
日程ずらせず現場は右往左往、不安だらけのGWデビュー 最大の問題は… 中森明菜の軌跡と奇跡

 【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

 中森明菜のデビュー曲『スローモーション』はゴールデンウイーク真っただ中の1982年5月1日に発売された。

【写真】頭を丸めた明菜「歌姫2」のジャケット

 この発売日は「ギリギリの選択だった」と明菜のプロモーションを統括していたワーナー・パイオニア(現ワーナー・ミュージックジャパン)の寺林晁氏は明かす。

 明菜はいわゆる“花の82年組”の1人。この年は3月14日に『私の16才』でデビューした小泉今日子をはじめ、翌週の21日には新井薫子『虹いろの瞳』、堀ちえみ『潮風の少女』、三田寛子『駈けてきた処女(おとめ)』がデビュー。4月1日には早見優が『急いで初恋』、そして4月21日には石川秀美が『妖精時代』と続きわずか40日間の間に大手事務所、大手レコード会社のイチオシの新人女性アイドルが一気に出そろった。

 それだけではない。5月5日の「こどもの日」には『NAI・NAI 16(シックスティーン)』で本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和の3人グループ、シブがき隊のデビューが決まっていた。

 「周りからは、そんなときにデビューさせても埋もれちゃうだけだとか、準備も考えたらゴールデンウイークが明けた5月10日はどうだなんていう声も出てきましたが『冗談じゃない』と。ゴールデンウイーク明けは逆にタイミングを逃す。何が何でもゴールデンウイークを外すなと強く指示したんですよ」

 1日も早くデビューさせることにこだわっていた寺林氏に対して現場も右往左往だったという。

 「結局日程を探ると、石川秀美とシブがき隊のデビュー日を避けた5月1日しかなかったのです。業界的にも出遅れ感の否めなかった明菜のデビュー日をゴールデンウイークの真っただ中に設定することには不安もあったことは確かです」

 最大の問題はデビューイベントだった。ゴールデンウイークの最中に会場を提供してくれるところがあるのか。例えイベントをやったとしても果たして人が集まるのか。宣伝を担当する富山信夫氏は頭を抱えた。

 そんな不安をよそに寺林氏は会場を探した。すると人づてに東京・練馬の「としまえん」が使えそうだとの情報を得た。

 「としまえん」といえば、先頃、閉園が決まった都内でも最大級の遊園地で、都民には「長い歴史のある遊園地」として親しまれていた。

 「正直、半信半疑でしたね。ゴールデンウイーク中ですからね。ところが寺林の指示を受けて交渉に行くと快く使わせてくれることになったんです。結構、直前でしたが準備に入りました。ただ芸能誌はもちろんですがテレビも含めて露出展開はまったく思う通りには行きませんでしたし、ファンの動員も含め…不安でいっぱいでしたね」

 デビューまでに決まっていたテレビ番組は、日本テレビ『スター誕生!』と、あのねのねが司会を担当していたテレビ東京のアイドル番組『ヤンヤン歌うスタジオ』だけだった。富岡はいう。

 「ちょっと寂しいデビューだったかもしれませんね。当時、研音やワーナーを相手にするところはなかったんですよ。各テレビ局は連日、歌謡番組を競っている時代でしたが、明菜の出演は皆無に等しかったですから」

 そんな状況でのデビューイベントだったが「天候にも恵まれ、会場にはファンがたくさん集まったんです。というより、思った以上にファンが多かったことに驚いたのを覚えています。イベントでは曲に合わせたゲームで、ファンが自転車に乗ってスローで明菜に徐々に近づいていく…なんてことをやったように記憶しています。たいしたゲームではなかったのですが盛り上がりましたよ」

 明菜のデビュー日はアッという間に過ぎていった。(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。