漫才師・横山ひろしさん「酒逸話」…師匠と家族と相方と

漫才師・横山ひろしさん「酒逸話」…師匠と家族と相方と

【今だから語れる涙と笑いの酒人生】

 漫才師・横山ひろしさん(73)

 横山たかし・ひろしとして活躍した関西のベテラン漫才師、横山ひろしさん(73)。昨年は相方たかしさんが亡くなり、元漫才師の妻・春けいこさんと夫婦漫才を結成し、話題に。酒のエピソードは師匠の横山やすしさんに始まり、家族、相方への思いを語っていただき……。

 ◇  ◇  ◇

 お酒は飲めるんですけど、あまり飲まなかったですね。なぜかと言うたら親父が酒乱で、「ああはなりたくない」と反面教師にしてまして。

 師匠の横山やすしに弟子入りした時は二十歳になってましたけど、師匠から「酒は飲めるか」と聞かれ、「飲めないです」と答えて、これが大正解やったんですわ。あとから入った弟子が「はい、飲めます!」と言うたら、師匠から「おお、いけるやないか。もう一杯飲め。もっと飲め」と飲まされて、急性アルコール中毒で入院して、すぐ辞めたんです。相方のたかしも、あまり飲まない。

 やすし師匠は強かったですねぇ。僕とたかしは弟子ですから毎回、酒の席に同席して。夜中の0時に自宅まで送ると、家には師匠のボート仲間が待っていて、さらに師匠が電話で何人か呼び、1時からみんなで飲む。僕らはボートの会話はちんぷんかんぷんだから、楽しくはないけど、飲まずにご飯をいただいてました。

 師匠はビールに始まり、ウイスキーになって最後は日本酒。大勢呼んで毎晩でした。寂しがり屋でしたからね。僕も師匠のお酒のパターンがわかってからはお宅では師匠の酒を濃いめにつくって、はよ寝かそうとしてました(笑い)。

 大勢といる時はサービス精神旺盛で、店の人に「早く酒、持ってこんかい!」と、横山やすしを“演じる”んですけど、僕らと3人で飲む時は本名の木村雄二に戻り、穏やかな酒でしたよ。

 僕が6畳一間に住んでた若い頃は、芸人仲間が僕の部屋に入り浸ってました。僕がいなくても合鍵を渡してるんで、勝手に入ってね。僕が飲まないから、みんなも飲まずに、芸能界の話をして。

 大助・花子に、くにお・とおる。若いみんなで励まし合っていたから、漫才をずっとやってこられた。

 酒で思い出すのは相方のこと。

 2人ともあまり飲まないけど、たまに一緒に店で飲んだら、たかしは決まって「ひろし、『あゝ上野駅』を歌ってぇ」と言うんですよ。僕が歌うの好きだから。

 それで僕が歌うたび、たかしは必ず泣くんです。故郷から出てきた頃の思い出がよぎるんでしょうね。それで「頑張ろうな、頑張ろうな」って言うんです。

 酔うと必ず、「あゝ上野駅」。酒にまつわる話でこれが一番思い出しますね。

 妻(春けいこ)は酒が弱いけど、若い頃は飲み会から酔って帰ると、転げ回るほど陽気になって僕や娘にしなだれかかってきた。明るい酒でしたね。僕と娘はうっとうしがってたんですけど。

 実は娘が強いんですよ。僕と妻も弱いのに僕と妻の親が酒飲みやから、隔世遺伝ですかね。おもろい娘で、小さいころから親子でテレビに出ていました。周りからは芸人になると思われていたけど、小学校高学年になった時、僕が「芸人になるか」と尋ねたら、「パパとママは偶然にも芸能界で名を上げたけど、全員が成功するわけではないから私はようやらん」と。しっかりしてましたね。

 大きくなってから3人で食事に出かけると、娘は飲んでますね。妻と去年、コンビを結成した時には夫婦漫才のネタを娘に見てもらい、アドバイスしてもらいました。今は千葉の方に嫁いでますけど、遊びにきたら一緒に飲みながら、娘に若い人のはやり言葉とか教えてもらってネタに生かしてますわ。

▽本名=小林秀光 1947年1月、愛媛県出身。漫才師。横山たかし・ひろしとして活躍した後、昨年は妻の春けいこと「横山ひろし・春けいこ」を結成。関西を中心に寄席・テレビなどで活躍。3月29日(日)に「お笑い演芸館+」(BS朝日)放送予定。第1・3日曜日は「DAIHATSU 心斎橋角座」に出演中。