誤解されても面白い…「ちょっとエッチな美新人娘」 イメージと真逆のキャッチフレーズ戦略 歌姫伝説・中森明菜の軌跡と奇跡

引用元:夕刊フジ

 【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

 中森明菜のデビュー曲は来生えつこ(作詞)と来生たかお(作曲)コンビによる『スローモーション』に決まった。38年前-1982年の2月下旬のことだった。

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 しかし、デビュー曲が決定するまでには二転三転した。「アップテンポのアイドルらしい作品で勝負すべきだ」という声が営業サイドから出てきたからだ。

 小泉今日子や早見優、堀ちえみ、石川秀美、三田寛子、さらには新井薫子ら各社の強力アイドルが続々と先行デビューする上に、明菜の後にはジャニーズ事務所の新人、シブがき隊も控えている。そんな中で明菜は、どうしても出遅れ感が拭い切れなかった。

 「新人の中でも業界の注目度は6番目か7番目だった」というだけに、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)では、営業感覚として「もっとインパクトのある楽曲」を求めた部分があった。

 実は、デビュー曲候補として『スローモーション』以外に『あなたのポートレート』(作詞・来生えつこ、作曲・来生たかお)や『Tシャツ・サンセット』(作詞・中里綴、作曲・田村雅充)、そして『銀河伝説』(作詞・篠塚満由美、作曲・佐瀬寿一)の3曲が挙がっていた。しかし、シングルとしてはややインパクトに欠けていた。

 一方で『少女A』(作詞・売野雅勇、作曲・芹澤廣明)はどうか? という案も浮上していたともいう。当時を知るワーナーの営業担当者は「デビュー曲は『少女A』で勝負しようという案もあったとは聞いています。ところが、制作スタッフから『少女A』ではイメージがつき過ぎるという意見が出たようです。それに、この曲には明菜本人も歌いたくないというか、どこかノリが悪かったようですね。結果的として『スローモーション』に決まったということです」。

 当時、ワーナーで明菜を担当してきた寺林晁氏は「『スローモーション』で勝負することには正直いって賭けがあったのは確か。ただ今後の方向性として、シングル楽曲はシンガー・ソングライターを積極的に起用し、コンセプトを持った作品で他のアイドルとの差別化を図っていこうということが自分の中で決まったことも事実です」

 既成概念にとらわれないスタイルでデビューさせようという方向性が決まった。ところが一方で決まった明菜のキャッチフレーズが「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーッこ)!」だった。

 「正直いってキャッチフレーズと明菜のイメージはまったく違っていたかもしれませんね」とは前出の営業担当者。もっとも、このキャッチフレーズにも思惑があった。

 「エッチというのは健康的というか、ヘルシーなエッチということなんです。でも、われわれとしては、誤解されても面白いのかなという思惑もあったことも確かですが…」

 そう振り返るのはワーナーで明菜の宣伝を担当していた富岡信夫氏だ。

 デビューを2カ月後に控えた3月。プロモーションビデオとジャケットなどの撮影を兼ねて米ロサンゼルスに渡った。5泊7日というハードなスケジュールだった。同行したのは富岡氏だった。

 「当初はワンピース姿でニッコリ笑っているものではなく、海岸を水着で走る、ちょっとセクシーな明菜をイメージしていました。もちろん、これもキャッチフレーズに合わせたものでしたが…。僕自身のイメージとしては野村誠一さんを考えていたのです。柏原芳恵さんのジャケットのイメージが頭に残っていて。結局は、ロス在住の川人忠幸さんにお願いすることになったんです。撮影はサンタモニカでした。サンセットでセクシーな明菜を…と考えていたのですが、上がってきた写真が今度はセクシー過ぎるということになり、最終的には僕が当初考えていた野村さん撮影のものになったんです」

 そんな中、ついにデビューを迎えた。(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。