千原兄弟が救いの手を…売れっ子候補だった芸人・チャンス大城、くすぶり続けた30年

引用元:テレ朝POST
千原兄弟が救いの手を…売れっ子候補だった芸人・チャンス大城、くすぶり続けた30年

過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー『しくじり先生 俺みたいになるな!!』。

3月2日(月)に放送された同番組には、くっきー!(野性爆弾)や次長課長、ブラックマヨネーズらと同期の芸人・チャンス大城が登壇。「同期や後輩にお先越されて腐っちゃった先生」として授業を行った。 千原兄弟が救いの手を…売れっ子候補だった芸人・チャンス大城、くすぶり続けた30年 しくじり先生の話を聞く生徒たち。

◆“天才”と崇められ、売れっ子候補だったのに…

現在45歳のチャンス大城は、芸歴30年のお笑い芸人。14歳のときに吉本興業の養成所“NSC”大阪校に入学(8期生)、19歳で再度、同養成所に入りなおした(13期生)という経歴の持ち主だ。

13期生の同期たちからは「天才」と崇められ、嫉妬されるほどの才能の持ち主だったにもかかわらず、30年間ブレークとはまったく無縁。

周囲からチヤホヤされていた自分よりも先に同期や後輩が成功していくことが受け止めきれず、「売れてテレビに出ている芸人は全員、しょうもない」と開き直っていた。しかし、その結果、どんどんスベリ続けていってしまったのだという。

同期から一目置かれていたはずの大城がどのように腐っていき、30年ものあいだ売れなかったのか。

その“壮絶転落人生”を激白し、自らの経験をもとに、“エリート候補なのにドロップアウトしてしまう人の特徴”を分析した。 千原兄弟が救いの手を…売れっ子候補だった芸人・チャンス大城、くすぶり続けた30年 8年間で3回もコンビを解散するという苦い経験も…。

◆くすぶり続けた30年!コンビ解消の連続…そして地下芸人へ

1995年、期待されながらコンビでデビューした大城だが、“エッジが効きすぎたボケ”のせいで一般の人にはウケずにスベりまくり。ついには相方が全くツッコめないという状態に陥り、2年で解散。

そこで大城は、笑いの伝統を重んじる大阪を出て、価値観に多様性のある東京へと進出を決意するが、実はこの行動こそが“しくじり”だった。

「負けを認めず環境のせいにする」とドロップアウトしてしまう人の特徴を挙げ、その対処法として「周囲に先を越されたときは、才能に頼らず再び追い越す努力を」という教訓を提示。

東京に出た大城だが、8年間で3回もコンビを解散するという苦い経験を味わうことに。

同期が次々と売れていくなか、すっかり腐りきってしまった大城は、なんとネタに放送禁止用語をぶち込む禁じ手でトークライブを開催!

そうこうするうちに、“テレビに出てウケたい!”という初心を忘れて目標を見失い、やがて地下芸人たちと付き合うようになっていったことを明かした。

「同じような人とつるんで傷をなめ合う」と、ドロップアウトする人にありがちな特徴から、「腐ったときは同じ境遇の人ばかりでなく、違う考えを持つ人たちとも交流しよう」という教訓も伝授した。