渡辺謙「日本が生きていく上で原点になる映画」…Fukushima50連載〈1〉

引用元:スポーツ報知
渡辺謙「日本が生きていく上で原点になる映画」…Fukushima50連載〈1〉

 東日本大震災で被害を受けた東京電力福島第1原発で命がけの対応をした作業員たちの奮闘を描いた映画「Fukushima50(フクシマフィフティ)」(若松節朗監督)が3月6日に公開される。スポーツ報知では出演者、監督、原作者たちの思いを全12回の連載で紹介する。極限状態の原発で陣頭指揮を執った吉田昌郎所長(2013年死去、享年58)を演じた渡辺謙(60)は「日本人が今後、生きていく上で原点になる映画」と力を込めた。

 9年が経過しても日本国民の脳裏から離れない東日本大震災の記憶。渡辺は震災直後、毅然(きぜん)とした態度で原発事故対応を指揮した吉田所長を演じた。「あの日、あの場所で何が起きていたのか、知られざる真実を伝えたい」と意欲を見せる。

 実名で登場するのは吉田所長だけ。実在の人物を演じることにプレッシャーを感じつつ、「吉田さんをコピーするのではなく、どういう立場で何と闘ったのか。旗印として、その場にいたことを僕の体を通じて伝えられたら」と心に決めた。作業員たちから「オープンマインドで、リーダーシップとユーモアがある」などの人柄を聞いて独自の吉田所長像を作り上げた。

 当時のニュースで何度も流された東電本店とのテレビ会議の場面をリアルに再現した。全電源喪失、炉心融解、水素爆発などの危機に直面し、決死の覚悟で奮闘する原発作業員を代表して「そんなことも決められねぇのかよ本店は! 現場の人間、体を張ってんだよ!」と声を荒らげ、篠井英介(61)が演じる東電幹部から「吉田、少しは言うことを聞け!」と、どなられる場面も。「温度差をうまく表現できたと思う」と振り返った。

 原発の当直長・伊崎利夫役を演じた佐藤浩市(59)とは2013年の映画「許されざる者」以来、7年ぶりの共演。撮影初日、佐藤とガッチリ握手を交わし、「重いボールを受け取った気がした。僕も負けないようにと覚悟を決めた」。厚い信頼で結ばれた同世代の吉田所長と伊崎は、40年近く切磋琢磨(せっさたくま)しながら日本映画界を引っ張ってきた渡辺と佐藤の関係に重なる。

 ご当地の福島県からキャンペーンを始め、復興への思いを再確認。「日本中どこでも自然災害に見舞われる可能性がある。そういうことを念頭に置きながら未来を見据えていかないといけない。日本人が今後、生きていく上で原点になる映画」と思いを込めた。

 「情報だけならドキュメンタリー番組でもできる。でも、仲間や家族との絆を描いて人間ドラマとして成立しているから、心を震わせることができる」。決して気軽に楽しめる娯楽映画ではないが、「この時代に、この映画を作る意義がある。映画人としての矜持(きょうじ)です」と胸を張る。ありのままの真実を描きながら、上質の人間ドラマに仕上がっている。(有野 博幸)

 ◆渡辺 謙(わたなべ・けん)1959年10月21日、新潟県生まれ。60歳。演劇集団「円」出身。84年「瀬戸内少年野球団」で映画デビュー。87年NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で主演。映画「ラストサムライ」で米アカデミー賞助演男優賞にノミネート。2015、18年のミュージカル「王様と私」で、それぞれ米トニー賞、英ローレンス・オリビエ賞の主演男優賞にノミネート。新装オープンした東京・パルコ劇場で舞台「ピサロ」(3月13日~4月20日)に主演する。

 ◆Fukushima50 90人以上への独自取材と実名証言でつづられた門田隆将氏のノンフィクションが原作。東日本大震災の津波によって全電源喪失という危機に見舞われた福島第1原発。命の危険を顧みずに闘った作業員たちを海外メディアは「Fukushima50」と呼んだ。巨大セットで原発を再現し、米軍の横田基地でも撮影。「沈まぬ太陽」(09年)の若松節朗監督がメガホンを執り、約2200人のエキストラが参加した。

 ◆「Fukushima50」で描かれる5日間

 ▼2011年3月11日 午後2時46分、東日本大震災発生。同3時41分、津波により福島第1原発が全電源喪失。原子炉冷却機能を喪失

 ▼12日 1号機が炉心融解し、原子炉建屋は水素爆発。原子炉へ海水注入。格納容器内の蒸気を外部に放出するベントを実施。半径20キロ圏内に避難指示

 ▼13日 3号機が冷却不能に。消防車から海水注入

 ▼14日 3号機の原子炉建屋が爆発。2号機の格納容器圧力が最高使用圧力を超える

 ▼15日 2号機で衝撃音が発生し、圧力抑制室の圧力低下。4号機の原子炉建屋が爆発し、火災発生。半径20~30キロ圏内の住民に屋内退避指示 報知新聞社