歯車が狂ったミルクボーイが再び漫才熱を取り戻すまで

歯車が狂ったミルクボーイが再び漫才熱を取り戻すまで

【今週グサッときた名言珍言】

「(M―1入場の)せり上がりのときに2人とも緊張しすぎて、死んだと思うんですよ。今2人で『こういう番組出たかったなぁ』っていう夢を見てる」(ミルクボーイ・内海崇/テレビ朝日「相葉マナブ」2月9日放送)

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 昨年末の「M―1グランプリ」(テレビ朝日)で優勝し、大ブレークを果たしたミルクボーイ。嵐の相葉雅紀と共演して「夢みたい」と語った上で、ツッコミ担当の内海崇(34)がM―1を振り返ったのが、今週の言葉だ。

 内海とボケ担当の駒場孝(34)の2人は、ともに大阪芸術大学に入学。落語研究会で出会ってコンビを結成した。彼らのネタを見て落研に入ってきたのが、のちに2016年「キングオブコント」(TBS)のファイナリストとなる「ななまがり」の2人だ。

 ミルクボーイは06年の「大学生M―1グランプリ」で優勝。その勢いのまま、プロになると4年後には「M―1」の本戦で準々決勝まで進出し、敗者復活戦も経験した。まだキャリアは浅いながらも、決勝に手が届く位置まで来て順風満帆だった。ところが、その年を最後に「M―1」がいったん終了してしまう。

 目標を失った彼らは、漫才だけでは生き残っていけないと、キャラ付けのため、さまざまな資格を取得しようとしたり、企業の社長と付き合い始めたりした。そこから2人の歯車は狂い始める。

 内海はギャンブルにのめり込み借金を抱え、駒場は毎日のように先輩と飲み歩いた。14年の単独ライブでは最初にネタを1本だけやった後、けん玉検定を受けてそのまま終了し、長年応援していたファンも失望させたという(テレビ朝日「すじがねファンです!」20年2月12日)。

 そんな2人の目を覚まさせたのは、先輩の声だった。昔からかわいがってもらっていたが、遊び出してからは疎遠になっていた和牛・水田と、駒場が飲みの席でたまたま一緒になった。水田は「先輩の金でタダ飯食って、旅行行って、そんなんでええんか」と諭し、今後のために和牛とミルクボーイの4人で会議もしてくれた(同前)。

 レギュラー番組で共演した海原やすよ・ともこも「漫才ちゃんとやって欲しい」と面と向かって言ってくれた(とうこう・あい「QJWeb」20年1月15日)。

 そんな中、駒場ひとりで韓国ロケに行った際、何もできずに泣いた。コンビ2人だったら戦えてたはずだと思った。その時、駒場は内海に「そろそろ、ちゃんと漫才やろ」と告げるのだ。内海は興奮して後輩のななまがり・初瀬に電話をした。

「四六歩(初瀬)、事件や! あのころの五衛門(駒場)が戻ってきたぞ!!」(宝島社「steady.」20年3月号)

 ここぞという時、彼らは落研時代の高座名で呼ぶ。漫才師として半ば死んでいた2人はギャンブルや遊びを封印し、ストイックに漫才に取り組んでよみがえった。悪夢のような生活から脱し、夢の舞台を手に入れたのだ。

(てれびのスキマ 戸部田誠/ライタ―)