エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第9回 サカナクション、Chara、フジファブリック、女王蜂、米津玄師らを手がける土岐彩香の仕事術

引用元:音楽ナタリー

誰よりもアーティストの近くでサウンドと向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回は、これまで実に多くのバンドがレコーディングを行っている青葉台スタジオでキャリアをスタートさせフリーに転身した土岐彩香に登場してもらった。前編ではCharaとサカナクションのレコーディング話を中心にお届けする。

【動画】「奥田民生・カバーズ2」Chara「The STANDARD」(メディアギャラリー他6件)

■ 好きな曲を好きなように聴けたら最高
──土岐さんがエンジニアになったきっかけを教えてください。

高校生の頃にバンドを組んでギターとコーラスをやっていたんですけど、自分で演奏するよりも没頭して音楽を聴くほうが好きだったんですね。父親がちょっと大きめのコンポを持っていて、6バンドくらいの簡易イコライザーが付いていたんですよ。それで、「この曲はローを上げて聴きたい」とか「この曲はドンシャリにしよう」とか好きなように調整して聴いていたときに、「そもそもCDを作る仕事があるじゃないか!」と気付いて。好きな曲を好きなように聴けたら最高だなと思って、エンジニアを目指すようになりました。

──バンドではどういう音楽をやっていたんですか?

SHAKALABBITSやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、アヴリル・ラヴィーンのコピーから始まって、オリジナル曲を作ってやってました。

──その後、東京の専門学校に進学して?

はい。2年制の専門学校で、2年目はもう青葉台スタジオの面接を受けて研修に入っていたので、ほとんど学校には行ってなかったんですけど。でも学校の方針として現場に入っていれば単位はもらえたので卒業はして。それからずっと青葉台スタジオでアシスタントをやっていて、エンジニアもちょっとずつできるようになり後輩が育ったタイミングで「もうそろそろ土岐さんいいんじゃない? フリーになっちゃいなよ!」とスタジオから言われて、フリーになりました(笑)。

──スタジオに入ってフリーになるまではどれくらい?

約9年ですね。2009年に入社してアシアシ(※アシスタントのアシスタント)から始めて、アシスタント(※2ndエンジニア)になり、そこからメインエンジニアをやったりセカンドをやったりという期間がけっこうあって、2018年の1月にフリーになりました。

──青葉台スタジオでは、どのようなアーティストの作品を担当していたんですか?

勝手がわかっているほうがいいので、一度担当した人にある程度は固定はするんですけど、いろいろな作品をやらせてもらいました。エンジニアさんで言うと渡辺省二郎さん、高山徹さん、日下貴世志さん、バンドで言うとthe HIATUS、スピッツ、くるりなどに付かせていただきました。アシスタント時代に顔を覚えてもらって、そこで「一緒に仕事やってみようか」と誘われることも少なくないので、青葉台スタジオでキャリアを始められたのは大きいですね。

■ Charaさんに声をかけてもらったのが最初の仕事
──初めてメインエンジニアを担当したのはどの作品でしたか?

奥田民生さんのトリビュートアルバム(2013年3月発売の「奥田民生・カバーズ2」)でCharaさんが歌った「The STANDARD」でした。それまでにアシスタントとしてCharaさんの歌録りで現場に入っていたんですけど、彼女は面白い若者を見つけたら「一緒にやろう」と声をかけて、後進を育てていくタイプの方で。仕事として依頼をいただいたのはそれが初めてでした。

──この曲は平歌のパートではキックの低音を出していきながら、サビではそのキックの存在感を抜いて全体が広がるような音像にしてありますよね。サビのギターではザクザクしたエッジの部分を出さずに、柔らかい音でリバーブを多めにしたりしているところも斬新でした。これはどういう発想でやっているんでしょうか?

曲の世界観がスモーキーだったのでエッジ感を立たせようという発想がなかったし、アレンジの段階ですでにドラマチックだったので、それをよりわかりやすくすることを意識しました。ミックスを始めたときは、それこそ初めてのメインエンジニアの仕事だったのでいろいろ迷う部分もあったんですよ。最初はギターをもっと固い音で作ったんですけど、アレンジャーの方に「だんだん左右のギターの歪み方の違いがなくなって一緒になってきちゃった」と言われて。もともとの音色のズレで出ていた空間の感じがいいよねという話になり、試行錯誤の末にあの形に落ち着きました。

──Charaさんの曲でも、土岐さんがミックスしたものはオールドロックの影響が見えにくいことが多くて、それはどこから来ているのかなと感じていて。音源でよく聴いていたのは、例えばどういったバンドなのでしょうか?

一番好きなのはRadioheadですけど、ドン・キャバレロやRide、Death Cab for Cutieみたいなポストロックも好きでした。Empire! Empire! (I Was a Lonely Estate)とか、ほかにもレコードしか出していないようなインディのバンドも聴いていましたし。だからどれかがすごく作用したわけではないんですよ。「この音像にハメる」みたいな発想ではなくて、その曲を聴いて自分が思った印象から作り上げたらそうなるという感じです。ゴール自体は思い描いて作り始めますけど、そのゴールに既存の曲を設定したりはしていないです。

──「The STANDARD」では作業前に奥田民生さんの原曲を聴いたりしたんでしょうか?

一切聴いていないです。この曲はメロディしか同じ要素がないくらいまったく別物なので、オリジナルを聴く必要がないと思って。「この曲が一番いい形になるのはなんだろう?」と考えたときに、音と音の境目がないシューゲイザーに近いというか、水の中にいるようなイメージが湧いてきて、それをミックスでやるとどうなるか考えて作っていきました。私はミックスをするときに、絵とか色とかを想像するタイプなんですね。「The STANDARD」は“温かい色使いの水彩画っぽい曲”という印象で。そのやり方はずっと変わらないですね。思い描いた視覚的なイメージに、ミックスでどう持っていくかということをずっとやっています。

──リファレンス音源がないのはわかりましたが、Charaさんとのやり取りの中で、例えば視覚的なイメージの共有だとか、最初に方向性を決めるような話し合いはあったんでしょうか?

そこは「好きにやってごらん」でした。まずは1回任せてもらってから、質感を変えすぎた部分は話し合いながら直していく感じで。最初のラフミックスからかけ離れすぎてもイメージと違ってしまうし、ちょっとブラッシュアップした程度だと、「何が変わったの?」となってしまうので、さじ加減は難しかったです。

──Charaさんは声が特徴的ですが、ミックスやレコーディングで難しい点はありましたか?

ミックスではそれほど難しいことはないんですが、録りのときのレベルが違ったりするんですね。地声、ウイスパー、ファルセット、ミックスボイスでそれぞれ音量が違うので、録音するときにはコンプレッサーのインプットとアウトプットで音量調整しながら録音しています。歌詞カードに、“赤はファルセット” “緑はウイスパー”みたいな感じで線を引いておいて、コンプのつまみを動かしながら録っていく感じですね。

■ いびつなほうがフックがついて何度も聴ける曲になる
──サカナクションも担当していますが、こちらもフリーになる前からやっていたんでしょうか?

そうですね。ずっとサカナクションを担当している浦本雅史さんにアシスタントで付いていたんですけど、浦本さんが別の案件で動けなかったことがあったんですよ。その日だけ私が録りをやったら、メンバーの皆さんがそれを気に入ってくれて、「このまま最後までやっちゃいなよ」と言われてやったのが「さよならはエモーション」でした。それ以来、私が録りをやって浦本さんにミックスしてもらう時期が続きました。

──「さよならはエモーション」も普通にミックスしたらこうはならないというか、だいぶ変わった音像だと感じました。箇所箇所でリバーブが少しずつ増えていって、そういう空間処理で楽曲の構成を作っていってますよね。これは最初からこのアイデアでいこうと決めてやったものなんですか?

はい。この曲はもともと“ダイナミクス”というのがテーマとしてあって、最初は小さくて階段的に徐々に大きくなっていくという構成だったんですよ。間奏に入るときのリバーブ感は「ここは視界的に霧の中だから。霧の中のサーチライトのイメージ」と言われてあのような音像になりました。途中のフィードバックで飛ぶディレイなどは、メンバー自身がプレイでやってます。

──ドラムもかなり強めにエフェクトをかけたり、「やっちゃってるなあ」と思いながら聴いていたんですが(笑) 。

やっちゃってますかね?(笑) でも誇張したほうがデコボコして、聴いていて面白いと思うので。洋楽だと「ここのタムだけめっちゃデカイな」みたいなことが多いですよね? 私自身そういうサウンドがカッコいいと思っているので。平たくなっちゃうのが嫌というか、いびつなほうが曲の展開としてのフックがついて、さらっと聴き流せない、何度も聴ける曲になると思うんですよね。その曲の一番おいしいところをハッキリさせたくて。極端な話、「この曲はイントロのギターがカッコよければ、歌は聞こえなくてもいい!」みたいな感覚を大切にしていきたいんですよね。

──「さよならはエモーション」はレコーディング本番のときも、プリプロダクションの音源の揺れに合わせて演奏するなど、バンドにとっても新しい試みがなされたそうですね。

プリプロの音源ではコードや音色が違ったので、それを差し替えるために本チャンを録ろうとしたんですけど、キレイに弾きすぎると「あれ? なんかハマらないな」ということが出てきちゃって。それで「プリプロのほうがよくない?」となって、プリプロのベーシックを使うことになったんですね。

──そういうことは珍しいんでしょうか?

サカナクションに関しては初めてのことが多すぎて、珍しいとかがないので(笑)。「いつもはこう」ということがないんですよね。曲作りのためのプリプロの日でも、そのとき録音した素材をいつ使うって言われるかわからないので、常に本番と同じフルスペックで録っているんです。レコーダーを96kHz / 32bitで丸1日回しっぱなし、1日終わると200GB使ってるみたいな。いつのどのテイクを聴きたいと言われるかわからないので、それぞれのちょっとした特徴を常にメモして、いつでも出せるようにしておきます。「新宝島」という曲も、プリプロのときのイントロが採用されてます。

■ サカナクションは考えるのをやめない
──そのやり方はサカナクションだけですか?

私の経験上はサカナクションだけですね。なかなかないと思います(笑)。

──リハをずっとレコーディングスタジオを借り切りでやってるということですもんね。同じサカナクションでも、「第39回日本アカデミー賞」で最優秀音楽賞を受賞した、映画「バクマン。」の劇伴をまとめた「MOTION MUSIC OF BAKUMAN。」(2015年9月リリースの「新宝島」初回限定盤CD2に収録)はまた全然違う雰囲気だなと思いました。

これはもともと劇伴なので、映画で流れる音源とCDとで、違うバーションのミックスを2つ作っています。映画だと声の邪魔をしちゃいけないしボリュームを下げられるので、それを見越したうえでバランスよく聞こえるようにミックスしたものをステム(※2chにまとめずに、各楽器ごとにミックス済みのファイルをバラバラにした状態)で渡して、そこで一旦終わり。CDにするときには、そこから微調整してきました。

──CD化するにあたり、具体的にはどう変えましたか?

劇伴のミックスだと、単体の音楽としてはちょっと成立してはいない感じがするんですよね。あくまで映画ありきで、センターに演者の声があるのが前提なので、曲の中でセンターにあるものは横に広げたり、声の帯域にあるものは上下の帯域に広げたりするので。映画で使うにはいいバランスだけど、音楽として聴くならこうじゃないよねって意見がメンバーの中でもあったので、CDではどの音量感、バランスだと自然につながるかを考えてミックスで調整し直しました。曲順は映画で流れた順番通りなんですけど、フル尺を入れるとダレちゃうから抜いてループとして使ったりとか、音源として聴けるようにアレンジの変更もされています。あとは「週刊少年ジャンプ」のページをめくる音をレコーディングして曲と曲のつなぎ目に差し込んだり。

──サカナクションはこの映画の主題歌「新宝島」の制作が半年遅れたり、アルバムが発売延期になったこともありますが、間近で見ていて山口さんのこだわりについてどう感じますか?

とにかく妥協ができない方なんだと思います。歌詞の1、2行を書くのに1日かけて何度も直したりとか。音に関しては、メンバーがアレンジをして一郎さんがジャッジするという感じなので、メンバーもいろいろ試行錯誤をしています。1曲のアレンジだけでアルバム何枚か作れるくらいのパターンがあるんですよ。細かいのを入れたら40バージョンくらい。そこから一郎さんが「Aメロはあれがよかった、Bメロはこれにする。そうするとサビが弱いから新しく作ってくるわ」みたいなことをずっと繰り返しているんですよ。なので、ある日録ったAメロと別の日のBメロをセッションをまたいでガッチャンコすることが日常的にあります。「歌がこう乗るんだったら、ちょっとテンポ変えたいな」とか、「テンポが変わるんだったらベースのフレーズをちょっと変えたい」とか、本当に考えるのをやめないですね。

──山口さんのこだわりもすごいですが、それを支えているメンバーもすごいですね。

全員アレンジができますからね。仕事も早いですし。一郎さんの作り出すメロディと歌詞がすべてのスタートなんですけど、それが曲として完成するのは強い信頼関係があるからこそだと思います。

■ 土岐彩香
2009年に青葉台スタジオに入り、2018年に独立。サカナクション、フジファブリック、女王蜂、米津玄師、Chara、Lucky Kilimanjaro、家入レオ、Yap!!!らの作品に携わる。またミニマルテクノのDJとしても活動している。

■ 中村公輔
1999年にNeinaのメンバーとしてドイツMile Plateauxよりデビュー。自身のソロプロジェクト・KangarooPawのアルバム制作をきっかけに宅録をするようになる。2013年にはthe HIATUSのツアーにマニピュレーターとして参加。エンジニアとして携わったアーティストは入江陽、折坂悠太、Taiko Super Kicks、TAMTAM、ツチヤニボンド、本日休演、ルルルルズなど。音楽ライターとしても活動しており、著作に「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」がある。

取材・文 / 中村公輔 撮影 / 大槻志穂