野村克也さん、40年おしどり夫婦…天国でサッチーとの再会喜んでいるはず

引用元:スポーツ報知
野村克也さん、40年おしどり夫婦…天国でサッチーとの再会喜んでいるはず

 南海、ヤクルトなどで監督を務め、11日に虚血性心不全のため死去した野村克也さん(享年84)。野球解説に革命を起こしたとされる「野村スコープ」をひらめく一方で、お茶の間に知られたのが「愛妻家」としての一面だ。2017年に亡くなった妻でタレントの野村沙知代さん(享年85)とは固い絆で結ばれ、お別れの会では人目もはばからず涙した。

 先に天国に旅立っていた沙知代さんの言葉は「もう来たの?」か、それとも「やっと来たの?」なのか。波乱万丈の人生を歩みながら約40年連れ添った2人は、「おしどり夫婦」として有名だった。

 南海時代に遠征で東京に来ていた野村さんが訪れた中華料理店の「ママ」の紹介で出会った2人。交際開始時にそれぞれ所帯を持っていたが、大恋愛の末、1978年に結婚した。

 沙知代さんの存在は球界では有名で、野村さんにハッパをかけ、球場に駆けつけて物申すこともあった。現役を引退し、監督となった後も辛口のコメントで夫を鼓舞。端から見れば「恐妻」でも、野村さんにとっては「なくてはならない存在」だった。94年には、「よい夫婦の日 ナイス・カップル賞」(現在は中止)にも選ばれた。

 その後、沙知代さんはタレント活動をスタートさせ、やがて衆院選立候補や学歴詐称疑惑、脱税など様々なトラブルでバッシングを受けるようになる。2001年には、野村さん自身も阪神の監督を辞任する事態にまで追い込まれたが、それでも沙知代さんのことを悪くは言わなかった。

 当時のことは、沙知代さんが亡くなった後に「奥さんとすれば、すごい頼りになる。どんな危険に直面しても、マイナス思考は絶対にない。『大丈夫よ』。これで片付けてしまう。その一言で随分助かった」と振り返った。また、お別れ会の際には「これから先、どうして生きていけばいいんだろう」と喪失感を隠さず、目に見えて弱る野村さんの姿があっただけに、今後を心配する声が相次ぐほどだった。

 昨年11月に野村さんと対談した脚本家の橋田壽賀子さん(94)によると、野村さんはずっと「一人が寂しい、寂しい」と言っていたという。「(息子・克則氏の)お嫁さんも、すごくイケメンのお孫さんも、息子さんもいらっしゃるのに、なんで寂しいんだと(思ったが)、サッチーさんがいないから寂しかったんですね」と訃報を聞いて、改めて野村さんの沙知代さんに対する愛を感じた。

 くしくも、沙知代さんと同じ病気で亡くなった野村さん。今頃は、沙知代さんが作詞し、09年に発売された「女房よ」で「世界で一番や」と歌っていた愛妻との再会を喜んでいるに違いない。 報知新聞社