なぜ、入社1年目の宣伝マンは『犬鳴村』で缶詰を作ったのか?【実録映画宣伝 犬鳴仁義】

引用元:Movie Walker
なぜ、入社1年目の宣伝マンは『犬鳴村』で缶詰を作ったのか?【実録映画宣伝 犬鳴仁義】

「旧犬鳴トンネルの、空気の缶詰を作るんです」。

渋谷にある宣伝会社の一室で、力なく笑うKさんからそう聞いた時は、なにを言っているのかさっぱりわからなかった。

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続けて、隣に座るTさんから「Movie Walkerさんで、その模様を記事にしてくれませんか?」と真顔を向けられた頃には、断れない空気がすっかり出来ていた。

KさんとTさんは、宣伝会社に勤務する、ともに入社1年目、20代の女性だ。2人が現在担当しているのが、公開中の映画『犬鳴村』。“日本最恐の心霊スポット”を題材に、『呪怨』(03)などで知られるホラーの名匠・清水崇監督が映画化した、とにかく怖い作品になっている。本作で三吉彩花が演じる主人公、臨床心理士の森田奏の周りで起こり始める奇妙な出来事や不可解な変死に共通するキーワードとなるのが、実在する“旧犬鳴トンネル”。映画のなかでは大半のシーンで実物そっくりのセットが使われているのだが、Kさんは「本物のトンネルに行くんですよ」という。

そもそもの発端は、『犬鳴村』を製作・配給する東映の宣伝プロデューサーS氏が発した「犬鳴トンネルでキャンプとかできないかな?」という一言だった。もちろん、トンネル内でのキャンプは様々な意味で困難と分かったのだが、「だから、無理なら代わりに犬鳴の空気を缶詰にするのはどうか、ということになったんです」と、Tさんは振り返った。新鮮な呪いの空気を詰めて、全国のファンに発送するのだという。

1月中旬、羽田を朝7時のフライトで福岡空港に降り立った2人は、大きな段ボールを抱えていた。「缶詰用の缶がたっぷり、それと缶詰マシンが入っています」とニッコリ笑顔を見せる。迎えに来てくださった東映九州支社の皆さんに「地元の方は、犬鳴トンネルにはよく行かれるんですか?」と聞くと、全員が「とんでもない、あえて迂回するくらいです」と血相を変えて首を横に振った。本当に大丈夫なのか。

福岡空港から車で約40分走り、次第に暗い山間部に差し掛かってくると、現在主に使われている新犬鳴トンネルに到着する。

この場所だけでも、なにやらヒヤッとするものを感じるような不思議な雰囲気に満ちているが、お目当ての旧犬鳴トンネルに行くためには、急勾配の山中を30分以上歩かなければならないという。運転手さんの説明を聞いたあと後部座席を見ると、すっかり青ざめた2人がうなだれていた。「こうなったら、行くしかないので行きましょう」。Tさんが低い声でそうつぶやくと、段ボールを抱えた2人は地図を頼りに山道へ消えていった。その光景をぼうっと眺めていた取材陣も我に返り、慌ててその背中を追った。

傾斜のついた山道をコンパスの目指す方向へ30分ほど進むと、明るかった斜面は徐々に暗くなり、鳥の声も遠くになっていった。「もう着くころなんですけどね」とKさんがスマホを取りだすと、小さな悲鳴があがった。隣にいたTさんが画面をのぞき込んで呟く。「圏外だ…」。

彼女たちが驚いたのも無理はない。村の入口にある「この先、日本国憲法適用しません」の看板、広場に放置されたセダンなど、その場所が「犬鳴村」であることを示す目印の一つに、すべてのキャリアの携帯電話が圏外になる、というものがあるからだ。

案の定、そこから10メートル先の茂みを抜けると、唐突に“それ”が姿を現した。

“日本最恐の心霊スポット”と呼ばれ、地元の人間でも近づくのをためらうという旧犬鳴トンネル。高く積まれたブロック塀の隙間から目を凝らすと、内部の様子が見えそうで見えない。ひんやりした空気のなか取材陣が圧倒されていると、KさんとTさんは折り畳みテーブルを出し、粛々と作業の準備を始めている。Tさんはテーブルから目線をそらさずに吐き捨てた。「やんないと終わんないスからね」。

彼女たちが持ち込んだ缶詰マシン、正確には家庭用缶ロール機という機械をご存じだろうか。知らない方はこの写真を見てほしい。

仕組みは至ってシンプルで、テーブルに固定させた本体に缶と蓋のパーツをセットし、ねじを回すと2種類のローラーによって缶が密閉されていくというものだ。使い方はネット上にわかりやすい解説が転がっているし、実際に使っている様子がわかる動画も複数アップされている。しかし困ったことに、ここは旧犬鳴トンネル。調べようにも電波が入らないのだ。

「やばい、全然わかんない」とKさんが説明書と格闘する。Tさんが呟いた「呪われてるんじゃないですか」のひと言も、このロケーションではまったく笑えない。

そのまま試行錯誤は30分も続き、2人の間には険悪な雰囲気が流れはじめる。なぜこんなことをしているのか。なぜこんな目にあっているのか。2人が目指した映画宣伝の世界は、もっと華やかだったはずだ。自問自答の答えは、彼女たちの背景にたたずむトンネルの奥に吸い込まれていく…。

始発で東京を発ち、重い荷物を背負い山道を登ってきた2人の顔には、疲労の色が浮かんでいた。疲れ果てて座り込んだKさんがため息をつく。「私たち、なにしてるんだろうね」。

同時期に宣伝会社に勤めはじめた2人は、チームとして映画宣伝に身を捧げてきた。小柄な外見に反し、持ち前のガッツでプロデューサーたちと渡りあうKさん。新卒ながら、学生時代には生徒会長まで務めたしっかり者のTさん。年齢は離れていても、まるで姉妹のようにお互いを補い合う2人は傍から見ていてもいいチームだった。

しばらくの沈黙のあと、「やりましょう、みんな待ってますよ」というTさんの言葉で2人は立ち上がり、作業を再開した。「ガチじゃないと意味ないんで」とKさんは缶を天高く掲げ、空気をしっかり詰めてTさんに手渡す。Tさんは缶に詰まった呪いの空気を逃さないよう、急いで蓋をして密封する。

近くに手洗いなどもなく、山中は昼間でもひんやり。そんな状況下でも彼女たちはもう迷っていなかった。すべては『犬鳴村』のため。清水監督や三吉さんが心血を注いで完成させた映画を楽しみに待っている人のために、私たちは缶に空気を詰めるんだ。そのためには、本物じゃないと意味がない。ディスカッションをしながら工夫を重ね、新鮮な呪いを詰め込んだ缶詰は、次々に出来あがっていった。

すべての缶が完成したころには、あたりは夕陽に包まれはじめていた。完成した缶を積み上げ、2人は目を閉じる。「どうか映画がヒットしますように」。そんな2人の姿を見て、取材陣も不思議な感動を感じていた。

宣伝マンは1人でも多くのお客さんに映画を観てもらうため、日夜知恵を絞り間口を広げようとする。「犬鳴村の缶詰」という企画を最初に聞いた時、僕はハッタリだな、と感じた。しかし「本物じゃないと意味がない」と真摯に取り組む2人の姿は、映画宣伝への“仁義”にあふれていた。宣伝プロデューサーのS氏が本物を作ることにこだわった意味が分かったような気がした。

2人の真摯さに心を打たれた僕はその光景を写真に収め、「犬鳴の空気を缶に詰めています」というメッセージとともに清水監督に送信した。

福岡市内に宿泊した翌朝、空港に集合すると2人の持つ段ボールが増えていた。Kさんに尋ねると、「追加の缶詰が必要になりまして、朝イチでまた山に登って追加分を作ってきたんです!」という。

僕たちはその場で、荷物発送のため別行動になる2人の記念写真を撮影した。フレームに収まった彼女たちの表情には、本物を作りあげた達成感がにじんでいた。清々しい気持ちでその背中を見送っていると、ふと携帯が鳴った。

恐る恐る送り主を見ると、清水監督からの返信だった。開封したメッセージにはこう書かれていた。

「何じゃそりゃww」

僕も、心底そう思った。

 

(Movie Walker・取材・文/編集部)