「おそ松くん」と「丸出だめ夫」が対決? テレビ草創期の子供番組「まんが海賊クイズ」

引用元:夕刊フジ

 【マンガ探偵局がゆく】

 今回は草創期のテレビ番組とマンガに関わる調査依頼だ。

 「小学1年生の頃、姉や兄と一緒に見ていたテレビ番組のことを調べてください。子供が2チームの海賊になってクイズで勝負という内容だったと思います。勝ったほうが宝箱をもらえたのをはっきり覚えてます。マンガ家の赤塚不二夫さんが一方のキャプテンだったはずですが、相手チームのキャプテンがわかりません。赤塚さんと同じくらい有名な方なんでしょうか」 (58歳・居酒屋経営)

 依頼人が小学1年だとすれば52~53年前。1967~68年のテレビ欄を探してみたら、毎週金曜日にNET(今のテレビ朝日)で夕方6時15分から放送されていた「まんが海賊クイズ」という番組が見つかった。

 調べたところ、司会は黒柳徹子で、民放では初レギュラーの番組。海賊チームの一方のキャプテンは依頼人の記憶通り「週刊少年サンデー」で「おそ松くん」を連載中の赤塚不二夫。そして、もう一方は森田拳次。「週刊少年マガジン」で「丸出だめ夫」を連載中のマンガ家だ。チーム名も「おそ松チーム」と「だめ夫チーム」になっていた。

 森田拳次は「冒険王」の「ズーズーC」や「少年画報」の「タイム魔人」、アニメ化された「ロボタン」などのSFチックなギャグマンガを得意とし、「丸出だめ夫」にも発明家の父親がガラクタを集めてつくったロボット〈ボロット〉が活躍する。ほのぼのと温かみのある作風で、第5回講談社児童まんが賞も受賞した。

 その後、アメリカのマンガ誌「MAD」で知ったカトゥーン(風刺マンガ)に魅了されて渡米。アメリカで創作活動を続け、ニューヨークに書店「禅(ZEN)」を開店したこともあった。

 帰国後も少年マンガ、一コママンガを描き続け、読売国際漫画賞、日本漫画家協会賞など数々の賞に輝いている。赤塚とは道が違ったが、マンガ史に残るマンガ家なのだ。

 ちなみに、この番組にはもうひとりマンガ家が関係している。それは構成と出題を担当した木乃美光(このみひかる)だ。木乃美は昭和30年代の学習雑誌や少年雑誌で数多くのクイズマンガやパズルマンガを発表。テレビ放送が始まるとクイズ作家としてもさまざまな番組に関わった。1975年前後からは、子供向けのなぞなぞ本を多数執筆した。

 テレビ草創期には若く才能あるマンガ家たちが、現在のお笑い芸人やアイドルみたいに各局で仕事をしていたのである。

 ■中野晴行(なかの・はるゆき) 1954年生まれ。フリーライター。京都精華大学マンガ学部客員教授。和歌山大卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。著書多数。