『G-レコ』富野由悠季監督にインタビュー!「自分は作家だと言い切れない。仕事師だなという感じがしています」【後編】

引用元:Movie Walker

劇場版『Gのレコンギスタ』。その第1部となる「行け!コア・ファイター」が現在上映中だ。全26話のTVシリーズを5部作の劇場版として再構築した作品。総監督の富野由悠季がそこに込めた思いとは?前編に続いて後編では、“仕事師”富野由悠季に迫る。

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■ 「第4部の山場は、その部分が『G-レコ』そのもののテーマに」

――第2部以降の修正、新作のボリュームは?

富野由悠季総監督(以下、富野監督)「早々に直さざるを得ない部分があったので、それなりに入っています。しかし、第2部もそれほど新しいものは追加してはいません。第3部の作画も基本的に終わっていますが、主人公のベルリとアイーダの姉弟話としてのフィーリングを伝える芝居を肉付けしました。2人の関係や気持ちの変化がきちんと切り替わるように描いていくと、ほかのキャラクターも絡んでくる。すると、作品全体にもう少し艶が出るだろうと思っています。第4部の山場は、その部分が『G-レコ』そのもののテーマになります。まるまるテレビ1本分の新作を入れないといけないので、ちょっと過酷だなと思っています。第5部に関しては、『G-レコ』ファンに『あのエンディングは変えてもらっちゃ困りますからね』と言われたとおり、絶対変えないでいく。落とし前をつけるので、5部作全て作っていけるようにしたいなと思っているのが、いまの全体構想です」

――そもそも、今回劇場版の制作を決めたのには理由があるのでしょうか?

富野監督「実は僕も自分の思いの丈だけで映画版の再構築を始めたわけではないんです。TVシリーズが終わった頃『G-レコ』のファンを集めてくれた会がありました。その頃、関係者から『G-レコ』は人気がないと聞いていたので、僕は5人くらいしか来ないだろうと思っていたんです。だけど、20人か25人くらい来てくれたのかな。そこで一番ビックリしたのは、ガンダムシリーズを知らない人ばかり。僕にしてみれば、かつて、初めてガンダムファンに会った時と一緒。『とにかくおもしろいです』『よくわからないところがあって…。だけどおもしろいです』と言っていただきました。エンディングについて聞くと『あれでいいです』と。彼らは『G-レコ』の歌を歌いながら街を歩き出したんですよ?そこで、根本的なところで間違っていなかったんだと保証を手に入れたわけです」

■ 「『ガンダム』があったから『G-レコ』が作れたんです」

――『G-レコ』で新しいことに挑戦したそのモチベーションはどこから来るのでしょうか?

富野監督「『ガンダム』は『ONE PIECE』や『ポケモン』みたいな長期シリーズの作品とは違うんだという根本的な部分を見誤っているんです。だけど、ガンプラのおかげでマーケットがなんとなく成立しているため、その問題を意識しないで済んでいる、とっても稀有なマーケットです。もちろん、『ガンダム』の独自性、マーケットの存在は認めます。だけれど、僕の立場からするとその存在を全否定するくらいにしなければ、『G-レコ』みたいなレベルの作品は作れないと、10年前に企画を立てた時から覚悟はしていました。それはしんどい仕事ですよ。いまもそのしんどさは少しも変わらないんだけれど、クリエイティブという白紙から物を作っていく立場の仕事をやっていく時に、このくらいのモチベーションを持たせてくれるフィールドがなければ作れませんね。自分1人の意思だけでは作れないんです。いままでとは違う、すごく変なことを言いますよ。『ガンダム』があったから『G-レコ』が作れたんです。仮想敵がなかったら『G-レコ』は絶対に作れなかった」

――今回の仮想敵には、TVシリーズの『G-レコ』も入っているのでしょうか?

富野監督「もちろんです。それこそ自腹でTV版26本の試作を作るなんてことはできないんです。だから、そういう環境があるというだけで、とんでもなくありがたいことです。でも、その環境になじんで慣れるのはいけなくて、もう少し環境に対して…。仕事師だから言うけど落とし前をつけておく必要がある。僕にとって映画版というのは、環境に対して落とし前をつけるということで、おそらく映画版ができ上がったら『G-レコ』は30年くらい保つでしょう。僕が仕事をしたのは30年でしかないんだけど、『ガンダム』でさえ40年もったんだから、おそらく4、50年は色あせない作品だと思います」

■ 「湯浅政明監督のことが気になってネットで仕事ぶりを見ていた」

――少し先になると思いますが、全5部作の完成を楽しみにしています。

富野監督「僕もこういう作り方しかできないわけだからで、本当は新海誠作品に似たようなものとか、京都アニメーションより『もうちょっといけるぞ』というものを作ることができればいいけど、そういうセンスはないから、やるっきゃない」

――同じフィールドへ行く必要はないと思うのですが。

富野監督「本当は行きたいですよ。そりゃそうです。他人が作っているなら『あの程度のものは作ってみせる』と言うのがプロでしょ。仕事師はそうあるべきです」

――富野監督は『ガンダム』以前に多種多様な作品で絵コンテを多く手掛けていますので、そう思われるのでは?

富野監督「そうかもしれません。そういう意味では、それこそ宮崎駿アニメに敵対視をしていたりもしていたんだけど、結局マネ事もできなかった。そういうキャリアが自分の中に厳然としてあるわけだから、やっぱり持っているものでしか勝負ができません。だから、覚悟しないといけないんだと思うけれど…。ただ、僕は仕事師だと言いました。請負仕事としてやってみせるんですから。京都アニメーションみたいなものは、例えば『50億出すからやってよ』と言われたら、それはやってみせたいよね。50億といったけど、30億でもいい(笑)。それならできるのかな?」

――お金が集まるとして、どのくらいで構想はできるものですか?

富野監督「資金が決まっているということはスポンサーが決まっているということですから、1年あれば作ってみせるといううぬぼれはあります。それが仕事師なわけだし。歳は言い訳にしたくない。だけど、自分の持ち物を変えるというのは、どこまでできるか。やはりこれは、やらせてもらわない限りわからない。そのために、20億とか30億をスってまでやるかという話になった時に、その荷重(プレッシャー)には耐えられると思うんです。だけど、作れるのかな…。このところ視界に入った、湯浅(政明)監督のことが気になってネットで仕事ぶりを見ていたんだけど、見事だよね。でも、僕にはこれはできない。ああいう人魚を動かせるかというと『この人魚嫌い』と言ってしまう(笑)。こういう切り口のこういう話というのが、リーチとして遠すぎて、僕には届かないでしょう。それは宮崎アニメを意識しても『ここまではいかないね』って。僕にはブタを出しているヒマはないもの(笑)」

――ご自身の経験などから得られたフィールドを、そこまで広く取れない?

富野監督「悔しいけど、取れないね。そこが作り手としての、なんだかんだ言って一つのものしか作れなかった自分なんでしょう。良いにつけ悪いにつけ、僕の場合はレッテルを貼られている通りに、富野ワールドになっちゃう。やや幅の狭い作り手だよね。やっぱり作家だと言い切れない。仕事師だなという感じがしています」

■ 「間違いないなという感触を得ました」

――改めて、劇場版第1部の作業を終えたいまのお気持ちを教えてください。

富野監督「『G-レコ』を作ったから言えることは、『ONE PIECE』的なものでも、京都アニメーション的なものでも、新海アニメでもない。ああいうものだけがアニメだと思っている人たちに『ちょっと違うテイストもあるんじゃないかな』『キミたちにもわかってもらえるかもしれないから観て』と言える作品になったと感じています。半分くらいは、うぬぼれです。けれども、この言葉はこの2か月くらい考えて、順々にお話させてもらっているので、間違いないなという感触を得ました。いまのYouTubeやTikTok、ああいうものしか知らない、動画がああいうものだと思っている子どもたちに対して『動画、手描きでもコレよ』と、違う凡例を出せる。それこそガンダム戦記ものの焼き直しとは違うものだから『これは観てみないと』『損はさせないぞ』というふうに感じています」

(Movie Walker・取材・文/小林治)