昼間はIT企業の営業ウーマン、美人サンバダンサーが置かれる現状を語る「“露出好き”の偏見なくしたい」

引用元:オリコン
昼間はIT企業の営業ウーマン、美人サンバダンサーが置かれる現状を語る「“露出好き”の偏見なくしたい」

 『浅草サンバカーニバル』で優勝最多を誇るサンバチームに所属し、花形のダンサーとして活躍していたSATOMARIさん。4年前にはリオのカーニバルにも参加した。現在は、IT企業で営業ウーマンとして働くなか、毎日のようにステージに立ち、サンバダンサーのコーディネートやステージ演出も行う。サンバダンサーを始めたきっかけから『浅草サンバカーニバル』の魅力、二足のわらじを履く働き方について話を聞いた。

【写真】フォーマルウェア姿も美しい…普段はIT企業の営業ウーマンのSATOMARIさん

◆サンバダンサーを始めて2ヵ月で『浅草サンバカーニバル』花形ダンサーのポジションに

――『浅草サンバカーニバル』で優勝最多を誇るサンバチームに所属し、花形のダンサーとして活躍されていたSATOMARIさんですが、いつ頃からサンバを始めたのでしょうか?

【SATOMARI】 2002年です。取引先のお客様がサンバダンサーで、一緒に『浅草サンバカーニバル』に出ませんか?」と誘ってくれたことがきっかけです。皆さん楽しい方たちで私も意気投合し、そのまま2ヵ月後には『浅草サンバカーニバル』に出場していました(笑)。

――それはすごいですね。2ヵ月でサンバをマスターできたのでしょうか?

【SATOMARI】 二つ返事で「出ます」と言ったものの、サンバなんて踊ったことがない。そこでサンバチームの方に先生を教えてもらいレッスンに通いました。初めて先生の踊りを見たときは、「どこをどうやって動かしているのかわからない…これは無理だ」と思ったのが正直な感想です。

――それでも2ヵ月後には大舞台に立ったわけですよね。

【SATOMARI】 はい。しかも初心者に勧める「アーラ」という群舞があるのですが、どうしてもその衣装を着たくないとわがままを言って(笑)、初めからパシスタという花形ダンサーのポジションで踊らせていただきました。そのため始めてすぐに本格的な個人衣装を買ってしまい、それが続けるきっかけになったのかもしれません。

――そんな『浅草サンバカーニバル』の魅力とは?

【SATOMARI】 チーム全体で1つのテーマを表現し、50万人を超えるお客さまに伝えること。全体のハーモニーが作り上げられたとき、涙が出るほどの感動があります。本当にいろいろなことがあって完成したパレード当日の感動はひとしおです。

――では、一番思い出に残っているステージは?

【SATOMARI】 4年前リオのカーニバルに参加し、アレゴリア(山車)の上で踊れたことです。日本の約10倍を誇るサンバダンサーと観客の声援、その熱狂の渦に包まれて行うパレードの感動は今でも忘れられません。もう1つは、2010年に「仲見世バルバロス」のバテリア(楽器隊)の前で2010年にプリンセーザ・ダ・バテリア(トップダンサー)として踊らせていただいた時のことです。まさにサンバの源とも言えるバテリアの音楽を全身に感じながら一体となって踊れたことは最高の名誉であり、最高の経験でした。