中村梅雀「父は怒り、地獄でした」三代そろっての初舞台を振り返る

引用元:テレ朝POST
中村梅雀「父は怒り、地獄でした」三代そろっての初舞台を振り返る

代々続く歌舞伎俳優の家系に生まれ、祖父は劇団「前進座」の創立者の1人である三代目中村翫右衛門(なかむらかんえもん)さん、そして『遠山の金さん捕物帳』(テレビ朝日系)や『伝七捕物帳』(日本テレビ系)で知られる四代目中村梅之助さんを父に持つ中村梅雀さん。

『赤かぶ検事奮戦記』シリーズ(TBS系)、『信濃のコロンボ』事件ファイルシリーズ(テレビ東京)、映画『釣りバカ日誌シリーズ』など多くのテレビ、映画に出演。俳優としてだけでなく、ベーシストとしてライブ活動も行い、CDも発売。2月14日(金)には津田寛治さんとW主演をつとめた映画『山中静夫氏の尊厳死』の公開も控えている中村梅雀さんにインタビュー。 中村梅雀「父は怒り、地獄でした」三代そろっての初舞台を振り返る 初舞台中に「ひっくり返っちゃった」梅雀さん。そのあとお父様にすごく怒られたと振り返る。

◆「ああ、やっちゃった!」…初舞台が地獄に

幼い頃からいずれ自分も舞台に立つのだろうと思っていたという梅雀さん。初舞台は、1965年、9歳のときに「中村まなぶ」として出演した前進座の「勧進帳」。祖父・翫右衛門さんと父・梅之助さんも出演し、親子三代が顔を揃えた注目の舞台だったが…。

-お芝居の稽古を始められたのはいつからですか?-

「5歳からでした。今は2歳とか3歳から始めていますけれども、僕らの頃は6歳の6月6日に始めるというのがあって、それよりは早く5歳から始めました」

-その頃のこと記憶にありますか?-

「鮮明にありますね。初稽古のときとか、日本舞踊の稽古は、先生の足に私の足を乗せて、後ろから私の手を持って踊るんですよ。もうわけわからないですよね(笑)。

それをみんなが見てニコニコしていて、『いやだなあ』と思っていました。

その稽古場の外に百日紅(サルスベリ)の花があったのがすごく印象的で、その映像をずっと覚えています」

-お稽古が楽しいとか、舞台に立つのが楽しみだという思いは?-

「なかったです。やっぱり祖父も一緒の家に住んでいましたから、その緊張感というのを知っていましたし、厳しいということは本能的にわかっていたので嫌でしたね。

家においても祖父と父というのは、役者の先輩後輩の間柄でしかないので、すごい空気感が悪いわけですよ。

その食卓なんぞでご飯なんて食べていられないわけですよ。だから、すごく食が細くてひょろひょろに痩せていて、しょっちゅう熱を出していました」

-おからだが弱かったんですか-

「弱かったですね。父もからだが弱かったです。父は22歳ぐらいで結核をやっていますしね。母は僕を産んだときに妊娠中毒になっていますし、そのあと弟と妹が生まれたんですけれども、弟が1日で死んで、妹は死産だったんです。

全部妊娠中毒だったので、よく母は入院していて、僕は母の実家に預けられていました。

そこに母の妹一家と、いとこである息子2人、僕より年下なんですけど、彼らのテリトリーに僕が預けられるから、すごい肩身の狭い思いをしていて、おばあちゃんにしょっちゅうすがっていましたね」

-大変だったんですね。そして9歳のときに初舞台を踏むことに?-

「はい。『勧進帳』の太刀持ちですからセリフはないんですけど、要は所作ですよね。太刀を持っていてどうやって座って、いつパッと出すか、それが厳しい稽古でしたね。

富樫を祖父・翫右衛門がやっていましたから、祖父の後ろに常にいるという感じで、それで四天王の中に父・梅之助がいて、要は親子三代が同じ舞台に立つというのが謳(うた)い文句だったんですよね。

でも、初日に足がしびれちゃって、舞台でひっくり返っちゃったんです。もういまだに忘れられないですよ(笑)。

自分の足がどこにあるのかわからなくなる感覚と、一生懸命太刀を持って冨樫に渡そうとしているのに、バタンて倒れて、『あー、やっちゃった!』って思ったのと、周りが慌てて対処しているのと…。

それで舞台からはけようと思っても足が立たなくて、後見の人に抱えられて文楽の人形みたいに引っ込んだんですけど、お客さんがワーッと湧いちゃって。地獄のような初舞台でした(笑)」

-トラウマになっちゃいそうですね-

「ほんとですね。父がすごい怒って、『楽屋中全部謝って歩くんだぞ』と言ったので、『わかった』って言って、謝って歩きました」

-それで次の日からはちゃんとできたのですか?-

「それがね、次の日の昼の部も、またやっちゃったんですけど、原因がわかったんですよ。

僕に衣装を着せてくれる付き人代わりの若手が、衣装さんが上を着せる前に、ひも付きという袴下をはくんですけど、着崩れちゃいけないというので、そのひもを思いっきりきつく縛っていたんです。

それで、最初に30分以上正座しているので、うっ血しちゃってしびれちゃうのは当たり前でした。

それで、そのあとはもう大丈夫でしたけど、恥ずかしかったですよ(笑)」

※中村梅雀(2代目)プロフィル
1955年12月12日生まれ。東京都出身。1965年に初舞台を踏み、1980年劇団前進座入座を機に、曾祖父がかつて名乗った中村梅雀(二代目)を襲名。1995年大河ドラマ『八代将軍吉宗』(NHK)の徳川家重役で注目を集める。2007年前進座退団。フリーで活動。テレビ、映画、舞台に多数出演。ベーシストとしても知られ、定期的にライブも開催。CMや『祭りだ!祝いだ!めでてぇ~メシ』(BSテレ東)などのナレーションも担当している。」