阪神タイガースの初公式ドキュメンタリー映画『阪神タイガース THE MOVIE~猛虎神話集~』の先行上映会が、大阪市内で2月4日に開催。ミスタータイガースこと、阪神OB・掛布雅之氏が現役時代のエピソードを語った。
ときには満面の笑顔で、思い出を語る掛布雅之氏(4日・大阪市内)
掛布氏は、習志野高等学校から入団テストを経て1973年、ドラフト6位で阪神に入団。下位指名ということで評価は決して高くなかったものの、翌年の春季キャンプ、オープン戦で結果を残して開幕1軍を勝ち取った。
掛布氏は、「僕に力があったということですね」と自画自賛。会場を笑わせながら、一方で「(レギュラーだった)藤田平さんが結婚式だったり、野田征稔さんはお母様が亡くなられたりして(欠場し)、僕が代役で出て2本ヒットを打ち、翌日の日生球場での近鉄戦でも4打数4安打だったんです」とめぐってきた機会を逃さなかったことを語った。
当時、掛布氏のチーム内でのライバルは、同期のドラフト1位・佐野仙好選手。中央大学から鳴り物入りで入団し、1989年までチームの中心選手として活躍した。掛布氏は、「(佐野が出場しているときは)打つな、打つなと思っていた。でも、佐野さんがいなければ僕の野球はなかった。(1988年に引退した際)、佐野さんから『なんで俺より早く辞めるんだ。でもお前がいてくれたから、俺もここまでやれた』と言ってもらえて、すごく嬉しかった」と懐かしそうに振りかえった。
掛布氏が入団した頃の主砲は、田淵幸一選手。通算474本塁打を放った球史に残るアーチストについて、「僕が3年連続3割を打てたのは田淵さんがいたから。だから、田淵さんが西武にトレードされた際はすごく辛かった。電話で『江夏が出て、俺が西武へトレードだから、次のターゲットはお前だぞ。でも、俺や江夏のように途中でタテジマのユニホームを脱ぐなよ』と言われました、それが阪神時代の田淵さんとの最後の会話でした。だから僕はタテジマにこだわったんです」と生涯タイガースを貫いた理由を語った。
掛布は最後に、2年目の矢野タイガースについて「今年は(球団創立)85周年ですし、東京オリンピックもある。昭和39年の東京オリンピックのときも阪神が優勝しているので、今年もそういう風が吹くと思います。スタンドからもファンの方たちに風を起こしてもらいたい」と覇権奪取を期待した。『阪神タイガース THE MOVIE~猛虎神話集~』は2月14日より公開される。
取材・文・写真/田辺ユウキ
掛布雅之「タテジマのユニホームを脱ぐなよ、と言われました」
引用元:Lmaga.jp