「ファン目線」がもたらした「スター・ウォーズ」の終焉、「ファンへの理解」の正体

引用元:IGN JAPAN
「ファン目線」がもたらした「スター・ウォーズ」の終焉、「ファンへの理解」の正体

2年ほど前ディズニーによるルーカスフィルム買収後のフランチャイズ、そしてこれからの展望について考察したコラムが掲載された後、非常に大きな反響と直接のメッセージを多く頂いた。筆者としては嬉しい限りであると同時に、いかに多くのファンがディズニーに対して疑惑の目を向けているのかということも体感することができた(別に僕がファン代表として言っているわけではない)。
今回は2015年から始まったシークエル・トリロジーから始まった“内戦”の勃興から終焉を振り返り、サーガが向かう未来を考察していきたい。
帝国ディズニーのキャスリーン・ケネディが提示した「スター・ウォーズ」の未来像がジョージ・ルーカスにとっては嘘そのものだった
ルーカスフィルムの現社長、キャスリーン・ケネディ。コアなファンは彼女の「スター・ウォーズ」の舵取りに多くの疑問を抱いていることだろう。ここで一度、彼女が一体どのような人物なのか改めて振り返ると、彼女は元々テレビマン出身で、1979年に“戦友”スティーブン・スピルバーグの『1941』のスタッフとして参加してから彼の信頼を勝ち取り、30年近く仕事をともにする。
彼女のルーカスフィルム社長就任はそんな戦友からの紹介、もとい推薦という形で全幅の信頼をおいて指名されたわけだけど、結果としてこれが裏目になったのはファンの知るとおり。ルーカスフィルム買収後早い段階で彼女とルーカスはオウンドメディアの「starwars.com」で対談しており、このときにルーカスはシークエルの制作に自身も監修として参加する姿勢を見せるだけでなく、その関わり方も残りの3部作(7、8、9)の方向性にブレが出ないためのストッパーの様な役割を果たすためであるとも答えていた。これは2012年買収当時の話だけど、このことは海外の掲示板でも引用されて「ルーカスが参加する」という方向で話題になった(最近発売された高橋ヨシキの『スター・ウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』でも言及されている)。

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」画像・動画ギャラリー

こうした対談があったからこそ当初はディズニー買収という信じられない事態が起きても、ファンは衝撃を受けつつも「万雷の拍手」で迎え入れることができたわけだ。
ところが現実はジョージのプロットは採用されるどころか、完全なシャットアウト状態となる(簡単な脚本草案まで送っていたらしい)。これではジョージからすれば騙されたようなもので、ジョージを信奉する多くのファンも彼女に対して常に疑惑の目を向けるのも当然だろう。ただ、よそから来た『スター・ウォーズ』に関心のない、マーケティングしか考えていない人物の方針だと考えると怒りも少しは収まるというもの。
どんな素晴らしいキャリアを持っている監督もルーカスフィルムと円滑に仕事をするには彼女の信頼を勝ち取るだけでなく、彼女の提案を好意的にかつ速やかに受け入れなければならないという癖の強さにある。コリン・トレヴォロウの降板や『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の1/3にもおよぶ撮り直し、そして最近のオビ=ワンのスピンオフドラマ消滅が物語っている。どの様な映画制作の現場でも監督とプロデューサー、製作総指揮の意見の食い違いからくる衝突は万国共通で発生するが、「スター・ウォーズ」ほど降板が多く報道されるのも中々見られない。それだけ注目されるビッグコンテンツであるゆえの宿命なのかもしれないが、それにしても一貫性を構築しなければならない作品なのに監督降板騒ぎが多すぎるのは否めない。
エピソード9では女帝こそ誕生しなかったが、「スター・ウォーズ」を取り巻く環境下ではもう誕生してしまっている。もし今回の「女帝パルパティーン」の下りがJ・J・エイブラムス(以下J・J)からの揶揄だとしたら僕はすぐにでもJ・Jへの評価が一転することだろう。これ以上キャスリーンへの不満点を上げてもしょうがないので先に進もう。どうせ次の項目も同じような話になる。

レジェンズと正史の切り分けは英断ではなく、悲劇の始まりとなる
「スター・ウォーズ」の一連の流れは2012年前と後で変わっている 。 2012年より前の基準は、「ルーカスフィルム社公認の小説、コミックを含んだサーガ」と「ジョージ・ルーカスが監修した作品」の2通りが存在した 。