「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ、76歳急死 持病なく、通販番組打ち合わせ予定が…

引用元:スポーツ報知

 「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」などのヒット曲で知られる歌手の梓みちよ(あずさ・みちよ、本名・林美千代=はやし・みちよ)さんが急死していたことが3日、分かった。76歳だった。所属事務所によると、先月29日に都内の自宅で亡くなっているのをマネジャーが見つけた。我が子の誕生を喜ぶ「こんにちは―」は国民的な人気に。60~70年代の歌謡界を支えた立役者のひとりだった。

 こんにちは赤ちゃん あなたの笑顔(中略)はじめまして わたしがママよ

 誰もが懐かしさを感じる、親子の名曲を歌った梓さんが天国に旅立った。

 所属事務所によると、先月29日、定期的に出演する通販番組の打ち合わせのため、マネジャーが都内の梓さんの自宅を訪れたところ、亡くなっているのが見つかったという。梓さんは1971年に結婚した俳優の和田浩治さん(86年死去、享年42)とわずか1年で離婚して以降は独り暮らしだった。

 事務所関係者によると、梓さんは近年、膝の状態が悪く、つえをつかないと歩けない状態だった。そのため歌番組への出演はしばらく遠ざかっていたが、大きな持病もなく元気に暮らしていたという。大の犬好きで、昨年5月に愛犬が亡くなったが、次に飼う犬を探していたという。

 梓さんは宝塚音楽学校の在学中に渡辺プロのオーディションに合格し、上京。デビュー2年目の63年、NHKの音楽番組「夢であいましょう」の「今月の歌」として紹介された「こんにちは―」が話題に。永六輔さんが作詞、中村八大さんが作曲を手がけた同曲は、100万枚を超える大ヒットとなり、第5回日本レコード大賞を受賞したほか同年のNHK紅白歌合戦に出場。翌年、学習院初等科の同窓会に招待され、昭和天皇、皇后両陛下の御前で「こんにちは―」を披露し、日本初の天覧歌手となった。

 「こんにちは―」は60年代を代表する歌謡曲となったが、梓さんはその一方で「こんにちは―」の明るいイメージの呪縛に苦しめられ、あえて歌わないようにしていた時期もあったという。1年間休業し、米国で暮らした後の74年に「二人でお酒を」をリリース。別れた男女が、いつか再び酒を酌み交わす約束をする歌詞をしっとりとしたメロディーに乗せ、床に座り込み、あぐらをかいて歌い上げる独自のスタイルで「こんにちは―」に次ぐ大ヒット、再ブレイクを果たした。

 葬儀、告別式は2日に近親者のみで執り行われた。「お別れの会」を希望する声が多数寄せられており、現在検討中という。

 ◆みちよさんのおかげです

 桂文枝(1971~78年にテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」で司会共演)「『新婚さん』がメジャーになったのは、間違いなくみちよさんのおかげです。みちよさんの人気にあやかって、番組は大きくなりました。八重歯があって、かわいいイメージですが、どちらかというと、サバサバした方でした。最近は頻繁にはお会いしていませんでしたが、何年か前に、テレビでご一緒させていただいた際、私の健康を心配してくれていました。とても元気な方だったので信じられません。ただただ、びっくりいたしております。今の私にはご冥福をお祈りするしかできません」

 ◆梓 みちよ(あずさ・みちよ)本名・林美千代。1943年6月4日、福岡県出身。62年「ボッサ・ノバでキッス」で歌手デビュー。63年「こんにちは赤ちゃん」がヒットし、八重歯の似合う歌手として人気に。ほかのヒット曲に76年の「メランコリー」など。 報知新聞社