たけし軍団サイテーアイドル烈伝 売上げでシブがき隊抜く【ダンカンの笑撃回顧録】

たけし軍団サイテーアイドル烈伝 売上げでシブがき隊抜く【ダンカンの笑撃回顧録】

【ダンカンの笑撃回顧録】#26

 クルクルクル~カラ~ン! とまたまた俺の人生ルーレットが止まった。

 う~ん、なんだ、このポカポカ陽気に甘~い香りに包まれた世界は? てか、うわー本当に辺り一面のお花畑の真ん中に我々たけし軍団がいるじゃないの!?

「じゃ、次、カメラ目線で笑顔でお願いしまーす!」、パシャ!! 「いーですね、もっとハジケちゃいましょうか! アイドルっぽいポーズで!!」、パシャ!! キラキラのアイドル衣装でフラッシュを浴びてるってことは! これ、「平凡」とか「明星」とか超アイドル雑誌の撮影に間違いなーい! ってことは時代は1986、87年のことなのだ。

 そう、今さら何を言ってもだれも信じてくれないだろうが、三十数年前、我々たけし軍団はアイドルをやってたぴ~(と一応アイドルっぽい言葉にしてみました)。

 しかし、アイドルとは名ばかりで……そりゃそーでしょう、あの当時すでに軍団の平均年齢は20代後半に近かったと思うし……ガダルカナル・タカちゃんなんか30歳になっていたのではないだろうか? とにかく我々はあの頃、自他ともに認める、芸能界史上最悪にタチの悪いアイドルであったのだ。

 例えば、冒頭のスチール撮りは早春の千葉のお花畑で行われた記憶があるが、「じゃ、軍団のみなさん、お花畑の中に埋もれて顔だけ爽やかに出してくださーい!」というカメラマンの指示に従い、お花畑の中にしゃがみ込んだはいいが、次の瞬間「ブリブリブリ」という音とともに、ぷ~んとウ〇コの臭いが漂い、「ゲーッ、東くん(そのまんま東)が野グソしたー!!」というお下品極まりないアイドルぶりであったのだ。

 おまけに東くんは撮影用のロケバスを強奪してサイドブレーキをかけたまま暴走させたから、バスは白煙に包まれるわ、俺は俺で編集者にビールをねだり、帰りの高速道路でオシ〇コが我慢できず、高速で走るバスの窓からチン〇を出して放出したら、風の関係でオシ〇コがすべて霧状となり、車内の全員に浴びせてしまったのだった……。

 それでも、自分たちが首をかしげるくらいの人気者であったのだ……。当時流行していた原宿辺りで売られているアイドルの生写真の売り上げでついにはあのモックン、ヤックン、フックンのジャニーズの超人気アイドル「シブがき隊」を抜き、売り上げ日本一を記録してしまったのである。あの頃、日本は他国から強い電磁波でも受けて、おかしくなっていたのだろうか?

 揚げ句に87年11月12日には、たけし軍団写真集「PHOTOGRAPHS OF TAKESHI GUNDAN」(太田出版 1760円)を出版するのだった。

 写真集をめくると当時、体重が120キロあったグレート義太夫くんがまるで海辺に打ち上げられたトドのようにヌードでニコリとほほ笑んでいるという、この世のモノとは思えないものまで……という恐るべき日本アイドル史の一ページがあったというお話……でした。 (つづく)

(ダンカン/お笑いタレント・俳優・放送作家・脚本家)