「誕生日教えて」林家ぺーの突然の電話にパニック?

引用元:日刊スポーツ
「誕生日教えて」林家ぺーの突然の電話にパニック?

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

「8月30日生まれの日刊スポーツ○○さんですね、お久しぶりです」

【写真】元遊撃手の林家ぺー、人生初の始球式でノーバウンド

林家ぺーさんの声がスマホから聞こえてきた。

18日に亡くなっていたことが明らかになった、俳優宍戸錠さん(享年86)について、日本テレビ系「元祖どっきりカメラ」で共演していたぺーさんにコメントをいただこうと思って、留守電にメッセージを残していたら折り返しがあった。

師匠の初代林家三平師、宍戸さんの話をうかがったのだが、ぺーさんが自分の誕生日を覚えていてくれたのがうれしい。

今から20数年前、日本テレビ系「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」のロケなどでご一緒する機会が多かったのだが、じっくり話したのは93年7月28日だった。日本テレビのバラエティー「進め!電波少年」から生まれたアイドル、電波子(でん・ぱこ)ちゃんと、ぺーさんの愛妻の林家パー子さんがユニット「パーコパコ」を組んで「ただ抱きしめるだけの愛(ハート)で悲しませないつもりなんて。」(作詞小山薫堂、作曲後藤次利)のレコーディングの時だ。ちなみにその時の記事では、ペーさんのことを「夫でミュージシャン(ギター漫談)の林家ぺー」と書いている(笑い)。

当時のぺーさんといえば、有名人の誕生日記憶。バラエティーの出演者が10人以上いても「○月○日うまれの○○さん。同じ誕生日には○○さん、○○さんがいます」と言って驚かせるのが定番だった。記者の誕生日も、聞いて覚えてくれて顔を合わせる度に「8月30日生まれの…」とやってくれた。

そんなぺーさんから、会社に電話がかかってくることがあった。記者が在社している時は簡単で「○○さんの誕生日教えて」と言われると、タレント名鑑ですぐ調べた。多分、バラエティー番組の収録に行ったら、思わぬ人がスタジオにいたのだろう(笑い)。

問題は記者が社にいなくて、アルバイトが電話をとった時。テレビで見るぺーさんから、あの独特の声で電話がかかってきて、記者の不在時には「林家ぺーですが、申し訳ないが○○さんの誕生日を教えて」と来るから軽いパニック。まさか「元祖どっきりカメラ」じゃあるまいな、というわけだ(笑い)。

そこで、そのころの日刊スポーツ文化社会部には張り紙が張られた。

「林家ぺーさんから電話がかかってきたら、つべこべ言わずに誕生日を調べて教えること」

スマホどころか、ガラケーのケータイ電話もまだ普及してない時代の話だ。面倒だが、気持ちがほっこりする。

ぺーさんからは毎年、手描きのイラスト付きの年賀状をいただく。ペイントカラーは、もちろんピンク(笑い)。いつまでも元気に活躍して欲しい。