24歳のときに大手プロダクションから独立し、個人事務所を立ち上げた杉本彩さん。音楽の創作活動や映画の企画などクリエイティブな仕事に思う存分取り組める状況になったものの、個人事務所ゆえに苦労することも多かったというが、2004年には企画から参加した映画『花と蛇』で主演をつとめ、大胆で官能的な艶技で衝撃を与えた。
モデル、歌手、女優、作家、ダンサー、実業家、動物愛護活動家、多くの顔を持つ杉本さんの転機となったのは、あるバラエティー番組だったという。 骨折を2回し番組に止められても踊り続けた。
◆肋骨(ろっこつ)や鼻骨が折れても全力で踊り続けた1996年、杉本さんに『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)の企画「芸能人社交ダンス部」(芸能人が社交ダンスに挑戦し、競技会に出場するまでのプロセスを収録し放送)のオファーが舞い込む。
子どもの頃、クラシックバレエを習っていた杉本さんは、昔からダンスが好きでラテンダンスの世界に興味を持っていたこともあり、オファーを引き受けることにしたという。
-ダンスへの取り組み方もすごかったですね-
「何でもとことんやるというのが信条ですし、もともとダンスは好きでしたからね。
ただ美しく踊りたい、そして大会で勝ちたいという思いで一生懸命踊っていたんですけど、私が社交ダンスに取り組む姿勢を見て、周りの人たちからは、『どこを目指しているの?』とか、『どこまで行けば気が済むの?』って聞かれたりしました(笑)」
-すごい迫力でした。ケガも絶えなかったでしょうね-
「とことんやっていましたからね。生傷は絶えなかったし、筋を傷めたりということはしょっちゅうで、それこそ本当に骨が折れてまで踊っていました。
2回骨を折っていますからね。1回は肋骨で、2回目は鼻。それですごい変な顔になっちゃって(笑)」
-肋骨を折ったとき、番組サイドから「もう踊らなくていいから」と言われたそうですね-
「言われました。でも、踊らない自分に納得がいかない自分がいるというか、とことんやってしまう性分なんですよね。後になって考えると、ちょっとゾッとしますけどね」
-「ペアを組んでずっと一緒に練習してきた南原清隆さんやみんなにも悪いから」っておっしゃっていて、本当に責任感が強いなあと思いました-
「責任感もありますけど、自分が踊りたいという思いも半分あって、とことんやっちゃうっていうか(笑)。
ただ、麻酔の副作用だとか、そのあとが大変だったので、『とんでもない無謀なことをしてしまったなぁ』って、ちょっと思いました」
-肋骨骨折もですけど、鼻骨骨折というのは大変だったのでは?-
「そうですね。明らかにグキッと鼻が折れて曲がってしまった場合は、もう1回逆に引っ張って戻すという痛みの伴う処置をするんだそうです。
でも、私の場合は明らかに曲がったというのではなくて、なかでヒビが入ったくらいでしたから、何もやりようがないと言われたんですね。すごく腫れてましたけど。
何も手の施しようがないから、腫れが引いてくっつくまでそのまま待つしかないって言われて、2週間ぐらいかかりましたね」
-他の仕事に影響はなかったんですか?-
「あの時期はほぼダンスにずっと時間を取られちゃうので、あまり他の仕事を入れてなかったんです。だからほかの仕事に支障はなかったんですけど、あの後はちょっとしたことですぐ鼻血が出てきたりして、完治するまで大変でした」
-全くわからないほどきれいに治って良かったですね-
「おかげさまで何もなくですね(笑)。
やっぱり女の人が鼻とかを骨折しちゃうと、治った後も自分の顔はおかしいんじゃないかみたいな不安にすごくとらわれて、どんどん神経質になって、いじって(整形)しまったりとかする人が結構いるんですって。
『そういうこともあるから本当に大丈夫ですからね』って、病院の先生に言われたけど、『多分、私の性格的には全然大丈夫だと思います、あまり何も気にしてないから』って言って(笑)」
杉本さんは社交ダンスだけでなく、30歳のときにはアルゼンチンタンゴと出会い、その究極の官能と哀愁の世界に魅了されたという。「美しく踊りたい」、その一心で本格的なレッスンを始め、イベントやライブハウスで踊りを披露するようになる。
そして、お芝居とダンスを融合させた、まったく新しいエンターテインメント「タンゴノスタルジア」をスタートさせるなど、革新的なチャレンジを続けている。
杉本彩、夫とは“半分ぐらい一緒に住んでいない状態”だが…「ほど良い距離感という感じです
引用元:テレ朝POST