“日本一熱い”ファンの裏に敏腕広報あり 千葉ロッテ・球団広報の“仕掛け術”とは?

引用元:オリコン
“日本一熱い”ファンの裏に敏腕広報あり 千葉ロッテ・球団広報の“仕掛け術”とは?

 1980、90年代、プロ野球『ロッテ』は人気がなく、ガラガラのスタンドが代名詞だった。ところが2000年代入ると日本一に2度輝くなど実力をつけ、本拠地千葉マリンスタジアムのライトスタントには、日本一とも言われる応援団が熱い声援を選手に送っている。この激変の陰に1人の敏腕広報の存在がある。2004年に新聞記者から転身した千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章氏。旧態依然のお堅い“球団広報”が多いなか、交流戦の挑発ポスター復活、球団キャラクター「謎の魚」の誕生、YouTubeの球団チャンネルでの「ドラフトの裏側」の公開など、斬新かつファンのツボをついたアイデアでファンの心をつかんだ。こうした話題性と、シーズン終盤まで上位争いを繰り広げるなど選手の奮闘が相まって、2018年、19年と2年連続で主催ゲームにおける球団史上最多観客動員数記録を更新した。かつて阪神番として、どんな些細なこともピックアップし、記事にしていたという経験を生かした、梶原氏流の“仕掛け術”とは?

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◆「自分だったらこうやって情報発信する」勝算ありで千葉ロッテに

 スポーツ紙の記者だった梶原氏に千葉ロッテマリーンズから声がかかったのは、今から16年前。プロ野球最大のピンチと言われた球界再編騒動が勃発した2004年のことだった。経営者側と選手会の交渉が決裂し、選手会によるプロ野球界初のストライキにまで発展したこの騒動をきっかけに、各球団が自助努力を始めるなか、千葉ロッテもまた、球団のイメージアップのために、広報で腕を振るう人材を求めていたのだ。
「野球が好きで、大学卒業後は野球の仕事がしたいと思い、新聞記者なって6年、阪神タイガースを担当している時でした。大阪にいる僕に誘いの言葉をいただいた時はすごくうれしかったですね」(梶原氏)

 野球担当記者として取材する中で、いつも「僕だったらこんなふうに情報発信するなとか、これを発信したら面白いよなという発想を持っていた」という梶原氏。千葉ロッテ入社を決意した時は「勝算とやりがいを感じていた」と振り返る。
「当時のロッテは、情報発信をほとんどしていなかった状態で、広報の分野はいわば荒野に近かったので耕すだけでした。さらに、伝統があるがゆえに拘束が多い阪神と違って、ロッテはどちらかというとフランクで斬新なイメージで、球団自体も新しい試みをしよういう姿勢でした。その柔らかさを打ち出せば、プロ野球界の中で新しい挑戦している球団としてイメージアップできるのではないかという漠然とした見通しがありました」(梶原氏)

 転身後、すぐに始めたのは、選手に積極的に声をかけ、ロッカールームにこまめに顔を出すこと。選手から信頼を得ることがスタートラインだと考えたためだ。
「選手からすれば、僕は大阪から来た初めて見るよくわからない人。警戒心でいっぱいです。選手は球団にとって一番の商品。ですから、その選手にまず信頼されないことには何事も始められないと考えました。そして、自分は結婚しているのか、子供は何人いるのか、どんな考えを持っているのか。自分の正体をしっかり伝え、悩みを打ち明け合うことから始めました。あとは、普段から、顔色いいねなど全選手とこまめに会話することも心がけ、今も用がなくてもロッカールームに顔を出しています」(梶原氏)

 幸いにも、梶原氏が広報担当に就任した2005年、千葉ロッテは日本一の栄光をつかむ。メディアの露出機会が多く作れたことも手伝って、梶原氏は選手各々の魅力を広く世間に発信、メディアとの関係も築いていった。