映像の魔術師フェリーニが『8 1/2』で描きだすイマジネーションの泉

引用元:CINEMORE
映像の魔術師フェリーニが『8 1/2』で描きだすイマジネーションの泉

 2020年1月20日、フェデリコ・フェリーニは生誕100周年を迎えた。イタリア映画の黄金期を牽引した彼はすでに’93年に死去しているものの、彼の手がけた幻想的な作品たちはその後も一向に色あせることなく、映画ファンたちの間で「生きる歴史」として愛され続けている。

 中でも『8 1/2』(63)はフェリーニの代表作というべきものだ。他にも『道』(54)や『甘い生活』(60)などの有名作はあるものの、登場する主人公がフェリーニの投影であること、すなわち「自我」を濃厚なまでに浮かび上がらせた点において、これはある意味、身も心も全てさらけ出した映画と言えるのかもしれない。

 彼の作る映画はよく「サーカス」に例えられる。同時代に脚光を浴びてライバルとも目されたヴィスコンティの作る映画がオペラならば、フェリーニ作品はサーカスなのだと。聞くところによると、幼い頃からサーカスに憧れ、あわよくば家出して一座と一緒に旅したいとさえ願っていたという彼。大人になって夢を具現化する手段を手に入れた時、それがサーカスそのものになっていたのも当然といえば当然だ。とすると、彼の投影である主人公グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)はさながら一座の中心に立つ道化師といったところだろうか。 映像の魔術師フェリーニが『8 1/2』で描きだすイマジネーションの泉 (c)Photofest / Getty Images

自身の投影、そしてタイトルの意味

 この主人公が、一体いつからフェリーニ本人と重なり始めたのかはわからない。だが確実に言えるのは本作がかなり苦労した末に生まれた物語だということ。その初期段階ではまだ主人公の職業すら決まっていなかった。ただ漠然と浮かんでいたのは、40代半ばにして自信を失い、身動きが取れなくなった男という設定だけ。スタッフやキャストが決まりだしてからも、フェリーニは何か決定的なものをつかむことができず、いつしか本当に限界を感じてプロデューサーに「すまない、中止にしよう」という内容の手紙を書き出していたという。

 だが運命とは面白いもので、ちょうどその時、偶然にもスタッフからパーティーへの誘いが飛び込んでくる。そこで撮影所の皆が新作の成功を祈って乾杯し励ましてくれたことで、彼の心は言いようのない温もりに触れた。「ああ、私を支えてくれる人たちのためにも、ここであきらめるわけにはいかない」。そう思い直し、書きかけの手紙を破り捨てたのだそうだ。

 探していた「答え」は案外近くにあった。彼はいち早くそれに気づいていたのか、もしくは気づかぬふりをしていたのか。ともあれ、衣装や仕草、演技、言葉づかいが細かく決まるにつれ、誰もが一つの事実に薄々と気付き始める。「この主人公は、まさに監督そのものだ・・・」と。

 マストロヤンニが着る黒い服、黒い帽子はまさに当時のフェリーニが身につけていたのと同じものだった。ようやく決まった主人公の職業も、当然のことながら「映画監督」。だが、この期に及んでもフェリーニはそれが自分自身であるとは一言も口にせず、ようやく映画を完成させたのちに、少しずつ公にそれを認めていったと言われる。

 ちなみに本作の謎めいたタイトルは、これがフェリーニにとって「8 1/2」本目の作品であることを意味する。彼には共同監督作が1本、オムニバスの短編作が2本あり、これらをそれぞれ1/2本としてカウントし、その他の長編7本と合算することでタイトル通りの数字が浮かび上がる。他にも様々な説があるものの、これだとぴったり計算が合う。

 本当にこのタイトルでいくのか当人も相当悩んだようで、一時は「美しき混乱」、「喜劇映画」、あるいは映画に登場する呪文「アサニシマサ」という案も検討していたとか。いずれにしても、これほどインパクトのある選択肢は他に微塵も想像できない。つくづく歴史とは決断の連続である。