児童文学作家・那須正幹~「ズッコケ三人組シリーズ」の“ハカセ”は自身がモデル

引用元:ニッポン放送
児童文学作家・那須正幹~「ズッコケ三人組シリーズ」の“ハカセ”は自身がモデル

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、児童文学作家・那須正幹が出演。児童作家になった経緯について語った。 児童文学作家・那須正幹~「ズッコケ三人組シリーズ」の“ハカセ”は自身がモデル ニッポン放送「あさナビ」 黒木)毎週さまざまなジャンルのプロフェッショナルにお話を伺う「あさナビ」。今週のゲストは「ズッコケ三人組シリーズ」で知られる、児童文学作家の那須正幹さんです。那須さんの代表作は、何と言っても「ズッコケ三人組シリーズ」。小学6年生のハチベエ、ハカセ、モーちゃんの3人組が、お互いに助け合いながら探検や事件解決に活躍するという児童文学ですけれども、実はこのハカセが那須さんなのですね。

那須)そうです。

黒木)もともと、子供のころは作家志望でいらしたわけではなく…。

那須)東京で2年間サラリーマンをしていましたが、嫌になって帰って来ました。我が家では父親が書道塾をしていて、300人くらいの生徒さんが手伝いをしていました。たまたま姉が広島の童話を書くサークルに入っていて、どんなものかと聞いたら、女の人ばかりだと言うのです。それなら僕も入ると言って、入りました。というのも、サラリーマンをしているときにサン=テグジュペリの「星の王子さま」が大ブレイクして、OLたちが電車のなかで読んでいるのを見ながら通っていたものだから、童話を好きな女の人はああいう人だろうと思って、つい入りました。最初に書いた作品はぼろくそに言われました。僕は子どものときにあまり本を読んでいなかったものだから、よくわからなかったのです。その後、現代の児童文学の傑作と言われている作品を読んで、「あ、僕も作家になれるな」と思ってしまったのです。26歳のときでしたが、30歳になるまで修行して、本が出なかったらやめようと思いました。そうしたら30歳になる2ヵ月前に、『首なし地ぞうの宝』が本になりました。当時は児童書がすごく活気を呈していて、1冊本を出したら「書いてくれませんか?」と、次々と編集者が広島まで来ました。僕は持ち込み原稿は1回もしたことがないのですよ。

黒木)たまたまサークルに入られて、小説を書けばいいのだとおっしゃいましたけれど、小説もあらすじがないと書けないではないですか。

那須)それまでも遊び半分に小説を書いて、「オール讀物新人賞」などには応募していました。ところが箸にも棒にも掛からなかった。五木寛之さんと僕は同期なのですよ。同じ時期に小説現代に応募して彼は入って、たちまち直木賞の候補になった。ただ、児童書の賞がよかったのでしょうね。大人の同人誌に入っていたら、芽が出ていたかわからないなあと思います。

黒木)児童書の方がご自分に合っていると思われたのですか?

那須)子どものときに本を読まなかったのは、面白いものがなかったからで、映画やラジオドラマはよく観たり聴いたりしていました。物語そのものはそんなに嫌いではなかった。僕の子ども時代なんて、活字を読むのは世界名作か偉人伝しかないからね。

黒木)ありましたね。

那須)だから僕が子ども時代のときに、夢中になって読めるものということを1つの目標にして書いたら、当たったわけです。

黒木)当時の児童文学は、お決まりのものしかなかったですよね。海外のものとか歴史書とか。

那須)いわゆるエンターテインメント的なものがなかったのですよ。成長小説ですよね。子どもが何か事件などを体験して成長するという話が多かったから、娯楽小説はほとんどなかったですね。

1/2ページ