藤巻亮太×川嶋あい、音楽にできる社会貢献を考える

引用元:J-WAVE NEWS
藤巻亮太×川嶋あい、音楽にできる社会貢献を考える

J-WAVEがいま注目するさまざまなトピックをお届けする日曜夜の番組『J-WAVE SELECTION』。毎月第3日曜は、震災復興プログラム『Hitachi Systems HEART TO HEART』(ナビゲーター:藤巻亮太)をお届けしている。

1月19日(日)のオンエアでは、ゲストにシンガーソングライターの川嶋あいを迎えた公開収録の模様をお届け。歌で復興支援を続けてきた藤巻と川嶋が「音楽の力」や「音楽にできる社会貢献」をテーマに考えた。

震災の恐怖を和らげた一曲

東日本大震災が起こった夜、宮城県南三陸町の町立戸倉小学校の子どもたちが先生たちと一緒に、学校裏の小さな山にある高台の神社に避難した。雪が降りすごく寒い中、歌を歌って励ましあった。1週間後に控えた卒業式で歌う予定だった、川嶋の楽曲『旅立ちの日に…』だ。藤巻はこの話を、昨年3月に宮城県南三陸町を取材した際に聞いたという。

川嶋は震災から約3週間後、戸倉小学校の生徒に会いに行ったという。

川島:ばらばらの避難所でしたが子どもたちと会うことができました。そのときの表情と、その年の8月に戸倉小学校が日本で一番遅い卒業式をしたときの表情はがらりと変わっていて、みんながすごく強い瞳をしていたことが印象的でした。色んなことを感じて過ごしてきたのかなとか、いろんな想像をしましたね。
藤巻:川嶋さんはそこで『旅立ちの日に…』を歌われたんですか?
川島:避難所でもみんなが「歌いたい」と言ってくれて。楽器とか何もないなか、校庭で一緒に歌いました。8月の卒業式でも仮の校舎で一緒に『旅立ちの日に…』を歌うことができました。

歌が被災地にもたらす力

公開収録では「音楽にできる社会貢献」についても考えた。

藤巻:被災地にかかわるとき、そこには大きな悲しみがありますよね。最初はグッと押しつぶされそうな気持ちになりませんでしたか?
川島:瓦礫が広がる光景を見たとき、瓦礫と青空とのギャップに耐えられなくて。津波がやってくる気配はなく海は静かで何もなく、でも瓦礫の山には崩れていった大切なものや失ったものがある。そういったことを想像しかできなかったけど、実際に亡くなった方たち、そして大切な人を亡くした方たちがたくさんいたんですよね。そう考えると、今でも届けられる言葉が本当に見つけられない。でも、そういった方々が少しでも何かを必要としていたり、それこそ歌にぶち当たってくれたりしたときに、歌で(悲しみや苦しみを)忘れてもらう瞬間を少しでも作りに行けたらなと思っています。

一方、藤巻も震災後の2011年4月に被災地を訪れたときは「現実を受け入れられなかった」と話す。

藤巻:「どうしてこんなことになったんだ」というくらいの光景で、言葉にすることもできず、ミュージシャンとしての無力感を感じました。でも、月に一度被災地とかかわり自分ができることを探していくことで、自分自身に起きた音楽の変化がありました。最初は自分の葛藤や初期衝動から何かをはき出すように一人称や二人称で音楽を作っていたけど、そういう光景を見たあとは「自分がこの社会とつながっているんだ」という社会とのつながりを切ってはいけない、たくさんのつながりがある社会や世界を感じながら音楽を作っていきたいとあらためて思っています。
川島:震災後に生まれた楽曲もありますか?
藤巻:ありますね。ただ、どこまでいっても被災した本人の気持ちにはなれない、なってはいけないとも思っています。本人の人生にあるひとつの大切な、そして苦しい物語があります。自分は自分の物語のなかでミュージシャンとしてなのか、人間としてなのかで何かを表現していく。それが社会貢献になるのであればきっと素晴らしいことだという意識が年々高まっています。