「スター・ウォーズ」を通じて私が体験した悲しみとその克服

引用元:IGN JAPAN
「スター・ウォーズ」を通じて私が体験した悲しみとその克服

この記事には『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の小さなネタバレが含まれます。
スカイウォーカー・サーガを根本から揺るがすような重大な新事実がいくつか明らかになった『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』だが、私が最も衝撃を受けたのは名もなき2人のキャラクターが登場するほんの一瞬の何でもないようなシーンだった。戦いに勝利したレジスタンスたちが結集する最中、2人の女性が祝福のキスを交わしたのだ。
多くの人にとっては大した意味のないシーンかもしれないが、私にとってはかけがえのない親友ドリュー・レイノネンを失ってからずっと抱えていた悲しみにけりをつける1つのきっかけになる重大なシーンだった。彼は2016年にフロリダ州オーランドのナイトクラブ“パルス”で発生した銃乱射事件で殺害された被害者の1人だ。あの短いキスシーンは、数千人もの「スター・ウォーズ」ファンやルーカスフィルムのトップ自身をも巻き込んだ、あるネット上での嘆願をめぐる一連の騒動の決着を象徴するものでもあったのだ。
はじめて出会ったときからずっと、ドリューと私にとって「スター・ウォーズ」は特別な作品だった。私たちはきっかけさえあればすぐに、レイアがジェダイとしての訓練を受けなかった理由について徹底的に議論を戦わせていたものだ。パルパティーンはアナキンの父親なのか論じ合ったり、彼がコレクションしていた古い「スター・ウォーズ」のトレーディングカードで何度も何度も遊んだり、街に「スター・ウォーズ」の巡回展や“スター・ウォーズ セレブレーション”が来たときには欠かさずに訪れたりしていた。

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私にとってドリューと出会ったことは、単に「スター・ウォーズ」を一緒に楽しめる仲間を見つけたという以上の意味があった。子供時代の私はクラスの人気者などではなく、むしろその正反対だった。ゲイでオタクだった私はクラスの負け犬で、体育の授業中にはよくいじめられ、昼ご飯はいつも1人ぼっちで食べ、誰かの家に誘われるなんて経験が一度もない子供だった。それがドリューと出会ったことで一変したのだ。はるか彼方の銀河で繰り広げられる物語への異常なまでの執着は、周りの人々を遠ざけるバリアのような働きをしていた。しかし、ドリューと出会ってから「スター・ウォーズ」は彼の生活や人間関係――ほかのオタクな変わり者たち――との接点となり、私たちを結びつける懸け橋となった。ドリューは愛にあふれた男で、私は彼ほど自由に、そしてオープンに人を愛することのできる者をほかに見たことがない。「スター・ウォーズ」を通じてドリューと友達になった私は、彼のおかげで人生が良い方向へと変わっていった。
2014年、夢だった仕事にありついた私はオーランドを離れてロサンゼルスに引っ越した。2015年12月、ドリューが私を訪ねてきてくれたのはちょうど『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が公開された頃で、私たちはさっそく同作を一緒に鑑賞し、健康を害さない程度にスノークやレイについての自説を長々と語り合った。その夜、必ず近いうちにまた会おうと約束した私たちは温かいハグを交わして別れた。これが親友との最後の対面になるだなんて、当時の私は知る由もなかった。

2016年6月12日、“パルス”での銃撃事件の知らせを聞いた私は、自宅アパートで1人、死傷者について情報を得ようとニュースサイトの更新を繰り返しながら眠れぬ夜を過ごしていた 。 オーランドに住んでいる近しい友人たちにテキストメッセージを送ったが、ドリューからだけは一切返信がなかった 。 報道される死者の数は、時間を追うごとに増え続けていた 。 情報が錯綜し、確かなことを知るのはほとんど不可能な状態だった 。 苦悶しながら待ち続けて33時間が経った頃、ドリューが死んだという知らせが私のもとにもたらされた 。 そのときの私の心境を説明するのは難しい 。 起こってしまったことに悲しみと怒りを感じていたのはもちろんだが、なぜか涙は出てこなかった 。 人生における最良の親友が、結婚も考えていた長年のボーイフレンドと一緒に暴力的に殺害されたにも関わらず、なぜか涙は1滴も流れてこなかった 。 ドリューの葬儀では、彼の母親が私の手を取って息子の遺体まで導いてくれた 。 そこではじめて彼の遺体を目にした私は、彼女の手を強く握りしめてしまった 。 遺体は彼の姿そのものであるようにも見えたし、まったくの別物であるようにも見えた 。