「海老蔵」名義最後の本公演…一にも二にも秋元康の台本がひど過ぎる

「海老蔵」名義最後の本公演…一にも二にも秋元康の台本がひど過ぎる

(作家・中川右介)

 今年も1月の歌舞伎興行は東京で4座、大阪で1座と、ファンとしては忙しい。

 歌舞伎座は「醍醐の花見」で始まり、新橋演舞場の最初の演目「金閣寺」にも桜が出てくるし、浅草も「花の蘭平」という桜の出る演目で始まる。まだ桜の時期ではないのに、3劇場とも「桜を見る会」となり、偶然にも政権への皮肉となっている。

 新橋演舞場は團十郎襲名を5月に控える海老蔵の、「海老蔵」として最後の本公演で、古典3作、新作2作のうち4作に出演。昼の部では「NINJA KABUKI」と銘打った、秋元康作・演出の新作「雪蛍恋乃滝」が注目されていた。初日に見たが、場内は戸惑いというか、しらけきっていた。絵として美しいシーンはあったが、ストーリーがどうしようもない。つまらない以前で、ドラマがないのだ。最初に堀越勸玄が登場し、少年忍者として立ち回りを見せ、これは見事。だがこの少年が、海老蔵扮する忍者の少年時代なのか、子どもなのか、何なのか、劇中では何の説明もない。ただ出てきただけ。このように思わせぶりなシーンが次から次に出てくるだけで、ドラマがない。忍者にお姫様が一目惚れする設定だが、忍びの者が素顔をさらすだろうか。一にも二にも台本がひどい。外国人向きと考えているらしいが、外国人だって、つまらないだろう。

「鈴ヶ森」は海老蔵の幡随院長兵衛、莟玉の白井権八が妖しい魅力を放ち、この芝居を「美少年もの」として見せて、新鮮。

■浅草公会堂と歌舞伎座は…

 浅草公会堂は尾上松也が「寺子屋」の松王丸と、「仮名手本忠臣蔵」七段目の大星由良之助という大役2つに挑み、大健闘。松王丸は仁左衛門に習ったそうだが、たしかに、仁左衛門に見える瞬間があった。浅草は松也と他の若手との差が課題だが、「寺子屋」では中村隼人が武部源蔵を、七段目では坂東巳之助が寺岡平右衛門をそれぞれ熱演。

 歌舞伎座は中村勘九郎が久々に登場。弟の七之助と、三島由紀夫作「鰯売恋曳網」に出ている。祖父・十七代目勘三郎と歌右衛門、十八代目勘三郎と玉三郎のコンビで演じられてきたものを、この兄弟が継承してきたが、独自のものになってきた。

 市川猿之助と團子の「連獅子」は澤瀉屋の型で、他の役者のものより動きが激しい。それなのにスポーツ的ではなく、演劇としてのファンタジーとなっており、人間が「獅子」を演じているのではなく、「獅子の精」そのものに見えた。