槇原敬之「申し訳ないほど難しかった…」セルフカバー作品を振り返る

引用元:TOKYO FM+
槇原敬之「申し訳ないほど難しかった…」セルフカバー作品を振り返る

木村拓哉が親交のあるゲストを迎え、人生をしなやかに生きていく様や、ゲストの秘めた魅力や強さに迫るTOKYO FMの番組「木村拓哉 Flow supported by GYAO!」。1月のゲストには、シンガーソングライターの槇原敬之さんが登場。1月19日(日)の放送では、槇原さんの“音楽との出会い”などの話を伺いました。

◆ベートーヴェンで「雷が落ちた」

槇原さんが楽器を始めたきっかけは、保育園の先生がピアノの練習でベートーヴェンの「エリーゼのために」を弾いているのを聴いたとき。先生が奏でるピアノを耳にした瞬間、「僕に雷が落ちまして。それまで、“その楽器は、伴奏するもの”と思っていたので、ピアノかどうかも知らなかったんですよ。

それで、雷に打たれたまま、ふらふらっと先生のところに行って……今でも忘れられないんですけど『それ、なあに?』って聞いたんです。すると、先生が『これはピアノで、「エリーゼのために」っていう曲なのよ』って。それで家に帰って、親に『ピアノを習う』って言ったんです」と当時を振り返ります。

そのエピソードに、木村が「もし保育園の先生が『エリーゼのために』を弾いていなかったら、雷は落ちていないし、ピアノをやるというスイッチは入っていなかった?」と問うと、大きく頷く槇原さん。「だから、今思うと先生に感謝しているし、僕の人生のなかで雷に打たれた経験をしたのはそのときだけ」と断言します。

とはいえ、いざ習い始めてみると「練習曲がつらくてね……『エリーゼのために』じゃなかったから全然練習しなくて(笑)」と紆余曲折あったそう。それでもピアノを続けた槇原さんは、「中学のとき『僕はピアニストになりたいわけじゃないので、「エリーゼのために」を弾かせてくれませんか?』と先生にお願いしたっていう(苦笑)。それからはピアノがすごく楽しくなって。ただ曲を作るための技能を習得するだけのピアノでしたね」と回顧。

「でも、その落雷がなかったら今(ここに)いないですもんね?」と聞く木村に、「今ごろたぶん電器屋さんの息子ですね(笑)。“ドカ~ン!”って音が聴こえそうなくらいにビックリしましたから」と当時の衝撃を打ち明けました。