最も一緒に飲んで一緒に遊んだ 山城新伍は愛すべきダチ公【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】

最も一緒に飲んで一緒に遊んだ 山城新伍は愛すべきダチ公【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】

【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】#9

 2019年12月12日にこの世を去った梅宮辰夫さん(享年81)。梅宮さんにとって遺作の著書となったのが現在発売中の「不良役者 ~梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚~」(双葉社)だ。自らの映画人生とともに伝説の役者たちとの交流がつづられた珠玉のエピソードの数々を一部再構成してお届けします。

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 俺がこの世界に入り、一緒に飲み、一緒に遊んだ機会が一番多かったのは、やっぱり山城新伍だろうな。古い言葉でいえば、愛すべきダチ公であり、盟友だったということだよ。実はあいつとはこんな笑い話がある。

 ある新人女優が本名を芸名にしてたんだけど、それがどうにもこうにもやぼったくてさ。彼女の映画を撮ることになった監督に頼まれたんだ。

「辰ちゃん、なんか、いい名前を考えてよ」

 それで俺も、3日間、真剣に考えたわけさ。でも、考えた末に思いついたのは、当時、俺が一番気に入っていた銀座のホステスの源氏名だった(笑い)。名前が決まると、すぐにその女優が俺の前に現れたよ。

「このたびはありがとうございました。母が梅宮さんにお礼をするように言ってるんですが」

「何もいらないよ」

「でも、何かお礼しないと、母に怒られます」

「じゃあ、1回だけ、ヤラせろよ」

 こうして、俺は据え膳をしっかり食べさせていただいた。まあ、芸能界ではよくある話さ(笑い)。

 問題は、そのあと。4、5日経った頃、なんだか、股間のあたりがモゾモゾする。自慢じゃないけど、俺は女性との経験は豊富。でも、幸いにして性病のたぐいにかかった経験は一度もなかった。

 それで、同じ現場にいた谷隼人に相談したら、すぐに事情を察した。

「先輩、それ、淋病です。すぐに、病院に行ってペニシリンをもらったほうがいいですよ」

 忠告通り、その日のうちに撮影所のそばにある病院に行って診察を受け、薬をもらった。ところが俺はペニシリンアレルギー。飲んでも、注射しても、じんましんが全身に出ちゃう。それで撮影は1日中止。もちろん、会社には病気のことは言わない(笑い)。適当に理由をつけて、じんましんが消えるのを待った。

 まもなく、山城新伍が話を聞きつけて、俺のところにやってきた。新伍に病状と薬の話を説明すると、新伍は心配げにポロッとこぼした。

「俺も辰ちゃんと同じ病気かもしれない」

 まさかとは思ったけど、新伍に尋ねた。

「おまえ、あの新人女優とヤッたのか」

「ヤッたよ」

「えっ? なんで、おまえがヤッたんだよ」

「辰ちゃんが抱いたという話を耳にしたから、俺にもヤラせろって……」

「おまえ、そんな道理がどうして通るんだよ」

 新伍を問い詰めると、とうとう白状した。

「君の芸名はぼくと辰ちゃんが2人で考えたものなんだ。だから、ぼくも君と寝る権利がある」

 それにしても機転が利くというか、スケベというか……。こういう才覚がテレビの司会で花開いたんだろう。どこまでも憎めない悪友だったよ。

(おわり)