松方弘樹は釣りと並んで女にも入れあげて力いっぱい生きた【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】

松方弘樹は釣りと並んで女にも入れあげて力いっぱい生きた【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】

【梅宮辰夫 最期の「銀幕」破天荒譚】#8

 2019年12月12日にこの世を去った梅宮辰夫さん(享年81)。梅宮さんにとって遺作の著書となったのが現在発売中の「不良役者 ~梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚~」(双葉社)だ。自らの映画人生とともに伝説の役者たちとの交流がつづられた珠玉のエピソードの数々を一部再構成してお届けします。

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 俺が松方弘樹と親しく付き合うようになったのは「仁義なき戦い」や「県警対組織暴力」といったヤクザ映画で共演した頃からじゃない。もっと、ずっと後の話。テレビの釣り番組に一緒に出るようになってからだった。

 だから、弘樹との思い出となると、映画じゃなくて、やっぱり、釣りのほうが多いかな(笑い)。あいつはいつも「辰兄ィ、辰兄ィ」と俺を立ててくれたし、俺もそんな後輩がかわいかった。でも、こと釣りに関しては、あいつが俺の師匠だったのかもしれない。とりわけカジキやマグロのようなデカい魚を釣るようになってからは、こっちが教えられることのほうが多かったよ。

 あいつは釣れなくても絶対に諦めないからね。その執念たるやアマチュアの域をはるかに超えてた。漁師か、あるいはそれ以上。命がけで大物を狙っていく。あの情熱と執着心はどこから生まれるんだろうって思ったよ。

 一方、俺は大物が釣れなければ、小さいのを釣って、それを料理し、ワインを一杯やりながら食べることを考える。だいたい大きな魚は釣ってすぐ食べてもおいしくない。ある程度、時間を置いてから食べないと(笑い)。その後も弘樹の大物釣りはどんどんエスカレートしていった。あいつが巨大マグロを釣り上げたっていうニュースを見た読者も多いだろう。

 弘樹が役者稼業以外で、釣りと並んで入れあげたのが「女」だった。

 とにかく、女にモテたし、しかも無類の女好きときている。口説くときはひたすら押しまくる。その強引さに女はほだされるんじゃないかな。こんなこともあったよ。映画のタイトルは忘れたけど、撮影が終わり、弘樹を俺の車に乗せて自宅まで送っていったんだ。あいつが西麻布のマンションを東京での根城にしていた時期で、到着まで時間にしてわずか10分か15分。その間、助手席でずっと、女に電話していた。それも口説くというより、「今すぐ行くから、早くヤラせてくれ」なんて直截的な言葉がポンポン飛び出すんだから(笑い)。

 もう50を過ぎていた頃だよ。でも、体力も気力もみなぎっていたというか、仕事に対しても、女に対しても精力的だった。

 おそらく弘樹は「女遊びは芸の肥やし」というくらいに考えていたはずだよ。それが時代劇スターであった父親の近衛十四郎さんの教えなのか、あいつ自身のモットーなのかは知らない。今のように役者に清廉潔白が求められる時代は、あいつにはさぞかし生きにくかったと思うよ。だいたい昔のスターなんてみんな艶福家だったし、マスコミがそれを書き立てることもなかった。

 松方弘樹は役者としても、一人の男としても、人生を思う存分、力いっぱい生きた。俺はそう解釈している。(つづく)