最高のムチャブリに応えたアンタ山崎の復活アドリブ漫才

最高のムチャブリに応えたアンタ山崎の復活アドリブ漫才

【今週グサッときた名言珍言】

「どうやってネタ合わせしてたかは忘れてるんですけど、ネタ合わせ嫌いだったことは覚えてる」(山崎弘也/日本テレビ「内村&さまぁ~ずの初出しトークバラエティ 笑いダネ」1月1日放送)

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 昨年11月、有田哲平が司会の「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ)で、事前告知なしのサプライズで10年ぶりに復活を果たしたアンタッチャブル。その後まもなく行われた「THE MANZAI」(同)の収録に向けた、ネタ合わせの際の心境をボケ担当の山崎弘也(43)が振り返った言葉を今週は取り上げたい。

 ネタはきっかけのワードだけを箇条書きで書いていく。周りの芸人からは「箇条書き2個でネタやんのか?」と驚かれるという。けれど、それができてしまうのがアンタッチャブルなのだ。きっかけのワードさえあれば、どこまでもアドリブで膨らませることができてしまう。

 アンタッチャブルは2003年の「M―1グランプリ」(テレビ朝日)で敗者復活を果たし、3位に。その勢いのまま、翌年には優勝し、大ブレークした。だが、10年にツッコミ担当の柴田英嗣(44)が女性問題などで休業。1年後、芸能活動を再開するも「アンタッチャブル」として山崎と共演することはなくなった。

 たびたび柴田は山崎とはよく一緒に飲んでいると、関係が良好であるとアピールしていたが、山崎から柴田の話題を触れることはなかった。ことコンビのことは山崎に触れにくいような、まさに「アンタッチャブル」な話題になっていた。

 実は柴田は話し合いの中で「いったん自分の活躍がちゃんと出来るまで待ってて」と山崎に言ったという(CBC「本能Z」16年3月12日)。そうでなければ、山崎が手を差し伸べているみたいになってしまうからだ。それから数年経ち、柴田は休業前に勝るとも劣らない活躍を見せていた。まさにコンビ復活の機は熟したのだ。

 アンタッチャブルが売れていない時期から、有田に世話になっていたことはよく知られている。特に山崎は半ば彼のマネジャーのように常に一緒にいた。芸人を辞め、このまま座付き作家になろうと思っていたほど。有田に「キャラがない」と言われれば、言われるままにヒゲを伸ばし山男のようにもなった。そんなときも「有田さんに言われて」などと言わないのが“紳士協定”だった。それを言ってしまうと、途端につまらなくなるからだ。

 有田が「ドラゴンクエスト」にハマれば、横で声がかれるまで応援し、熱海から東京までの移動中、実況してくれと言われれば4時間ずっと実況して聞かせた。そんな有田のムチャブリに応え続け、芸人随一のアドリブ力を身につけた。

 だから、山崎には細かなネタ合わせなど必要ない。そして有田の最高のムチャブリに応え、アドリブ漫才でコンビ復活を果たしたのだ。

(てれびのスキマ 戸部田誠/ライタ―)