自らを「変化球の脚本家」と称した上原正三さん

引用元:スポーツ報知

 「ウルトラセブン」をはじめとしたウルトラシリーズや「スーパー戦隊」シリーズなどの特撮作品のシナリオを手掛けた脚本家・上原正三さんが亡くなった。82歳だった。

 上原先生にお会いしたのは8年前。弊紙で「ウルトラセブン45周年特別号」を発行する事になり、円谷プロ関係者にお願いをして、制作陣の話を聞く機会を設けてもらった。中でも、外せなかったのが上原先生の取材だった。

 「―セブン」のメインライターとも言える金城哲夫氏は既に鬼籍に入っている。同じ沖縄出身、そして、円谷プロの企画室でも机を並べていた上原先生から、金城哲夫の世界観、前作「ウルトラマン」とは違う「―セブン」独特の空気感がどう醸し出されていったのかを聞きたかったのだ。

 「金城は『速球派のエース』。真っ直ぐで推して推しまくり、時に変化球で三振を取る。そんな脚本家ですよ。彼に比べたら僕や市川森一は2軍のピッチャー。金城が途中で他の作品に行くことになり、僕らがマウンドに立たせてもらったけど、金城の凄さを知っているだけに、真っ直ぐじゃ勝負できない。だから『変化球勝負をしよう』と思って、そういうシナリオを書いたんです。そのシナリオが『―セブン』独特のイメージを作る一端になったんじゃないですか」

 上原先生はこう説明してくれた。

 「―セブン」における金城作品で最も有名なものが第42話「ノンマルトの使者」だろう。謎の海底都市「ノンマルト」。そこに住む海底人こそが本来、地球に住んでいた知的生命体であり、それが、現在の人類の侵略により海底に追いやられた。人類は今度は海底開発を目指し、ついにノンマルトの生存エリアを侵し始める。「地球人こそが侵略者だ」というノンマルトの代弁者の少年を前に、セブンへの変身を躊躇(ちゅうちょ)するモロボシ・ダン…。

 この作品には、沖縄出身の金城が歴史的事実として故郷(琉球)が味わってきた本土(薩摩)からの侵略、当時、沖縄を占領していた米軍との関係、それらに起因する「無自覚の加害意識」などを忍ばせたのではないか、といわれていた。「ノンマルト」の語源も戦いの神(マルス)に否定の「NON」を付けたもので、沖縄戦を体験している金城の反戦思想が込められている…とも言われた。

 しかし、上原先生はこの“定説”を真っ向から否定したのだ。

 「金城は沖縄戦で筆舌に尽くしがたい経験をした。母親が機銃掃射を浴びて、目の前で片方の足を失った。洞窟に逃げ込んだものの『もうダメだ』ということで、金城を祖父母に託し、いったんは離散している。それが後年、『お袋孝行をしたい』と円谷プロを辞めて沖縄に帰っていく理由にもなったんです。本当に深い悲しみは口には出せないもので、それをシナリオに落とすことなんてなかった」

 政治や反戦思想に結びつけたのは後年の研究者であり、金城哲夫の世界観は「ぱーんと突き抜けた青空のようなもの」。悲劇を背負っていた作家では決して書けない作品を幾つも残している―こう力説していた。

 当時の上原先生は取材依頼を断り、表に出てくることは少なかったと記憶している。それでも、報知の取材を受けてくれたのは、親友でもある金城哲夫の誤ったイメージを「―セブン」の節目にあたって正すためではなかったか。

 2時間近くに及んだインタビューが終わり、謝意を伝えた時、「いやあ、今日はこちらも楽しい時間を過ごせましたよ。良い記事を書いて下さい」と握手をされたのが、昨日の事のように思い出される。(編集局次長・名取 広紀) 報知新聞社