【あの時・日本レコード大賞<15>】氷川きよし、大賞「一剣」は「周りがやってくれたもの」

引用元:スポーツ報知
【あの時・日本レコード大賞<15>】氷川きよし、大賞「一剣」は「周りがやってくれたもの」

◆氷川きよし(2000年最優秀新人賞、06年大賞)

 “大みそかはレコ大と紅白”がお茶の間の定番だった。1959年にスタートした日本歌謡界最大の音楽イベント「日本レコード大賞」が今年、令和に入って第1回目となる。12組の歌手や作家が当時を振り返る。(この連載は2018年12月にスポーツ報知掲載の復刻)
 ※「第61回日本レコード大賞」は12月30日午後5時半からTBS系で放送される。

 氷川きよしは2000年に最優秀新人賞を受賞すると、翌年から18年連続で優秀作品賞(07年まで金賞)を受賞。06年には「一剣」で大賞を獲得し、平成のレコ大の主役を務めている。

 「最優秀新人賞で自分の名前を呼ばれた瞬間は『えっ、僕でいいんですか』という感じでした。歌手として認めていただいたと同時に、この賞に見合う恥ずかしくない歌手にならなくちゃいけないと思いました。でも翌年に“2年目のジンクス”と言われました。フジテレビだったかな。『消える一発屋』の特番で椅子に座らせられてつらい質問をされました。すごく切なくて、とりあえず3年頑張ろうと思いました」

 「きよしのズンドコ節」「白雲の城」などヒットを連発するが、常にライバルが立ちはだかっていた。

 「レコ大ではずっと浜崎あゆみさんと対決でした。自分も演歌では売れていても彼女がいつもごっそり持って行くので『どうしたら超せるか』。衣装とかいろいろ考えました。ベストジーニストを浜崎さんと一緒に受賞した時があったんですが、それも『ジーニスト取りたい』と公言して、旅番組やロケでも絶対デニム着てました。演歌歌手でも取れたのがうれしかった。僕ね、浜崎さん大好きなんです。いつも後ろでずっと、羨ましく思って見てました。その時代の彼女の曲歌えますもん。一緒に出ている時は絶対CD買っていなかったけど『何で売れたんだろう』と思って買いました。聴くと歌もうまいし歌詞もいい。顔もきれい。カリスマ性を感じました」

 そして新たなライバルが現れた。

 「倖田來未がレコ大取った時(05年)は『この野郎、髪引っ張ってやろうか』って思いましたよ(笑い)。彼女が売れる前から食事によく連れてって、急に『キューティーハニー』とかで売れ出してアルバム300万枚とか言われると『どうもすみません』になっちゃいました。彼女の名前が呼ばれた時は客席で見ていて正直喜べなかったな。後で來未ちゃんに会ったとき『私、有線の大賞はほとんど取れなかった。きよしさんがいたから』って言われました」

 「一剣」で大賞を受賞したが、100%満足はしていないようだ。

 「作品がはやったというよりも氷川きよしを応援しようというか、ファンの方がCDを買ってくれて、そこ(大賞)まで持って行ってくれた。自分が取った感じはなくて、ステージで“きよしコール”を聞いても『みんながやったんだからお前が泣くんじゃないよ』って心の中では思っていました。素晴らしい真心の作品ですが周りがやってくれたもの。ただ誰もが納得する歌を歌いたいというステップもできました。自分でしか歌えない曲に出会いたい。そんな作品で2度目の大賞を取れたら最高です」(構成 特別編集委員・国分敦)=おわり=

 ◆氷川きよし(ひかわ・きよし)本名・山田清志。1977年9月6日、福岡県出身。42歳。2000年に「箱根八里の半次郎」でデビュー。同年「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たし、今年まで20年連続出場。「きよしのズンドコ節」「白雲の城」「一剣」などヒット曲多数。昨年「ドラゴンボール超」の主題歌「限界突破×サバイバー」、18年、ゲゲゲの鬼太郎の主題歌を発売。身長178センチ。血液型A。

◆デビュー狙い演歌転身決意

 演歌への転身はデビューをにらんでのものだった。「16歳の頃にポップスを歌っていた自分が演歌を歌ったら珍しいし、いいんじゃないかと思いました。事務所も大きな『バーニング』さんか『廣済堂』(現長良プロダクション)に入りたくてテープを送っていましたがダメだった。水森英夫師匠との出会いも狙い通り。先生がNHKの素人番組の審査委員をしていて、声をかけられるのを期待して応募したら、そうなって上京です(笑い)」 報知新聞社