【あの時・日本レコード大賞<9>】「米国は宇宙ブームだ」と阿久悠さんから渡された封筒に「UFO」

引用元:スポーツ報知
【あの時・日本レコード大賞<9>】「米国は宇宙ブームだ」と阿久悠さんから渡された封筒に「UFO」

◆都倉俊一さん(78年大賞「UFO」作曲)

 “大みそかはレコ大と紅白”がお茶の間の定番だった。1959年にスタートした日本歌謡界最大の音楽イベント「日本レコード大賞」が今年、令和に入って第1回目となる。12組の歌手や作家が当時を振り返る。(この連載は2018年12月にスポーツ報知掲載の復刻)
 ※「第61回日本レコード大賞」は12月30日午後5時半からTBS系で放送される。

 大賞の「UFO」(ピンク・レディー)を作曲した都倉俊一さんは、72年に「どうにもとまらない」(山本リンダ)、「涙」(井上順)で初めて作曲賞を受賞した。

 「まだ駆け出しの24歳、ビギナーズラックみたいなもので『僕がもらっていいの』って感じでした。『逃避行』(74年)で麻生よう子が最優秀新人賞を取った時はうれしかったな。地味な子でまさか取るとは思っていなかったから。自分の気に入っていた作品や、自分なりに工夫したメロとかある作品で、賞を取るのは作家としてうれしいものです」

 ピンク・レディーは「スター誕生!」出身で、審査員の「阿久悠・都倉俊一」のコンビでヒットを量産した。

 「あの時は清水由貴子ちゃん(享年49)がダントツの人気で、ピンクは僕が言い出しっぺみたいなところがあって、阿久さんが『あなたがいいなら書くけど、2人組は都倉さんにお任せだ』という乗りでしたね。デビュー曲の『ペッパー警部』ですが、当初は『いったい何なの』とか言われましたが、理屈はないです。僕と阿久さんで『何でペッパー、何で警部?』なんて会話は一回もない。『何で』と聞いた瞬間に会話が止まっちゃう。理屈じゃなくて『何か面白いじゃん』がいい。編成会議で『タイトル的に―』と言い始めた瞬間に思考も停止しちゃう」

 ―理屈を言わないと想像力は膨らむ。

 「そう、子供は理屈がないから勝手に膨らませる。リンダの時も彼女は抜群の美人でセクシーだけど、一番先に踊りをマネしたのは子供たちです。ピンクは同い年とか年下の男の子や同年代を意識したけど、子供が理屈じゃなくて体で感じてくれて、土居甫(はじめ)さんの振り付けを踊り始めたんですよ」

 「UFO」は阿久さんの情報収集能力から生まれたものだそうだ。

 「阿久さんの情報源は米国の映画が多かったかな。『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』が公開された頃に『米国は宇宙ブームだ』と言って、スタ誕でどっか地方収録に行った時、渡された封筒に『UFO』って書いてあった。詞はないんですが『UFOって何? ユー エフ オーって言うの』とか聞くと『そんなの任せるよ』って。しばらく僕も僕なりに考えて帰ってすぐ書き始めて曲を仕上げました」

 ―ピンク・レディーの大賞は本命だった。

 「あの時は『取って当然、取れなきゃおかしい』というか、取れないと恥ずかしいような意識はありました。レコ大じゃないけど『透明人間』でセールスが80万枚になった時に、普通なら大ヒットだけど『100万枚切れちゃうんじゃやめちゃおうか』って、阿久さんとそんな話ばっかりで『いい時にピンクの葬式を出したい』と。そうすると、彼女たちも違うスタートができるだろうからね。これ、正直、僕と阿久さんの本音でした」(構成 特別編集委員・国分敦)

 ◆都倉俊一(とくら・しゅんいち)1948年6月21日、東京都出身。71歳。作曲家として山本リンダ、フィンガー5、山口百恵、ピンク・レディー、狩人らを手掛け数多くのヒット曲を世に送る。2010年から日本音楽著作権協会の会長に就任。15年に横綱審議委員会の委員に。17年から「NHK紅白歌合戦」の最後を飾る「蛍の光」の指揮者に就任。18年、文化功労者に選出される。

◆以心伝心

 阿久悠さんとの間には特別な空気があったという。「阿久さんとは以心伝心でした。古今東西、ハル・デヴィッドとバート・バカラックにしても野口雨情と山田耕筰にしても、何かそういうモノがあったと思います。阿久さんと僕って、互いの考えていることが分からないと先が読めないんだけど、お互いの領域に入らないタイプの作家なんです。ピンクはいつも曲先で阿久さんの言葉の後付けは最高でした」 報知新聞社