「自分はゴジラから離れられない運命」 ファンを代表してゴジラに弔辞を読んだ男が語る、“好きでい続けること”の幸せ

引用元:ねとらぼ
「自分はゴジラから離れられない運命」 ファンを代表してゴジラに弔辞を読んだ男が語る、“好きでい続けること”の幸せ

 日本が世界に誇る怪獣王「ゴジラ」を愛し続け、ファンを代表して弔辞を読んだこともあるファンがいます。ゴジラファンとしての道を切り開き、「自分はゴジラからは離れられないんです」と語る「ゴジラ応援団」の粕谷さんに、“ひとつのことを好きでい続けることの幸せ”についてお話を伺いました。

【画像で見る:粕谷さんの結婚式に襲来したゴジラ】 「自分はゴジラから離れられない運命」 ファンを代表してゴジラに弔辞を読んだ男が語る、“好きでい続けること”の幸せ ゴジラの告別式で弔辞を読む粕谷さん TM & (C) TOHO CO., LTD.  「自分は決して特別なファンではなく、あくまで皆さんと同じようにゴジラを愛する者です」。そう笑顔を浮かべる粕谷さんはゴジラファンの間で一目置かれている存在です。特によく知られているのが1995年12月24日に有明で行われた「ゴジラの告別式」で弔辞を読んだことで、平成ゴジラシリーズの完結編として公開された映画「ゴジラvsデストロイア」の作中散ったゴジラを、ファン代表として悼みました。 「自分はゴジラから離れられない運命」 ファンを代表してゴジラに弔辞を読んだ男が語る、“好きでい続けること”の幸せ 「ゴジラ応援団」の粕谷さん(ホテルグレイスリー新宿のゴジラヘッド前にて取材) TM & (C) TOHO CO., LTD. そんなゴジラファン、粕谷さんはいかにしてゴジラファン道を切り開いたのでしょうか。 「自分はゴジラから離れられない運命」 ファンを代表してゴジラに弔辞を読んだ男が語る、“好きでい続けること”の幸せ 粕谷さんが描いた歴代ゴジラ TM & (C) TOHO CO., LTD.

逆境からはじまったファン人生

 5歳ごろに玩具店で見かけたブリキのおもちゃがきっかけでゴジラと出会ったという粕谷さんですが、初めて見た映画は「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」(1966年・当時7歳)。怪獣大ブームが巻き起こっていた同世代の中ではやや遅れたゴジラ映画デビューでした。

 「映画館から帰ってすぐにお風呂でエビラ遊びをした」と当時の大興奮を振り返る粕谷さんでしたが、1967年2月に映画「ゴジラ」(1954年)のテレビ初放送を見たことが人生の大きな転機となります。

 「『ゴジラは悪い怪獣をやっつける存在』というイメージが勝手に出来上がっていた自分にとって映画『ゴジラ』はラストを含めて大きなショックを残しました。『これはもしかして現実に現れたゴジラなのか?』と混乱して、そこからゴジラに対する興味がより湧き上がっていきました」と粕谷さん。

 しかし家庭の厳しさに加え、通っていた小学校では担任に「まだ怪獣なんて見ているのか!」とクラス全員の前でさらし上げられたこともあるなど、当時は周囲からの理解が得られにくく、粕谷さんは「いかがわしい物でも見ているかのような目で見られてつらかった」と懐古します。

 それでも好きという気持ちは止められず、新作ゴジラ映画が公開されると集めて回った新聞広告を廊下一面に張り付けるなど、両親へ向けて小さな反抗も。しかし中学に入ると、両親から特撮や怪獣からの卒業を迫られ、「そんなに好きだったら人に認められるような賞でも獲ってみなさい!」と無理難題を突き付けられてしまいました。

 普通なら諦めるところですが、粕谷さんはこの言葉に一念発起。中間試験そっちのけで没頭し、石ノ森章太郎さん、永井豪さんとそうそうたる顔ぶれが審査員を務める雑誌の「全日本怪人・機械獣コンテスト」で準優勝を果たしました。

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