わが長男「甲子園」命名までの内なる壮絶ドラマ?【ダンカンの笑撃回顧録】

わが長男「甲子園」命名までの内なる壮絶ドラマ?【ダンカンの笑撃回顧録】

【ダンカンの笑撃回顧録】#20

 長男・甲子園が誕生したのは1990年(平成2年)の11月28日である。甲子園という命名は知る人ぞ知る、俺が熱狂的なプロ野球の阪神タイガースのファンであることからに他ならないのだ。

 それが「11」と「28」という数字の日に誕生したのだから俺は神様・仏様・キリスト様などなど世の中のあらゆる神様に感謝しまくり、うれし涙におぼれそうになったのだ。だって、「11」というのは阪神の永久欠番の右腕・村山実さんの背番号であり、「28」は同じく阪神の黄金のサウスポーの江夏豊さん(オールスター戦で対戦できる9打者を全員三振に切ったり、ノーヒットノーラン&サヨナラホームランを打ったり)の背番号なのだ!!

 そして、いよいよ後に甲子園と名付けられる赤ん坊がママリン(妻)と元気に退院して自宅へ戻って来たのだ。子供が誕生したら役所(我が家の場合、中野区役所)に名前を付けて出生届を提出するのが社会のルールであり、その期間は別に罰則があるわけではないようなのだが、だいたい2週間くらいということであった。

 俺とママリンは「男の子が誕生したら甲子園と名付ける」と結婚以前から決めていたし、ママリンなんて「ねえ、知り合いの〇〇さんが飯塚甲子園の字画について調べてくれてね、それがものスゴク幸運を招く名前なんだって~のルンルン……甲子園さん、よかったわね~あなたシアワセになれるんだって~チュッ」という浮かれぶりであった。

 しかし、人生というのはこれがなかなか順風満帆にはいかないもので……思わぬところから(まぁ当然かなあ?)横やりが入ったのだ。ママリンの母親が「実さん(俺の本名)、阪神の大ファンなのはわかってますけど、産まれたこの子もいずれ大人に成長していくわけですから、甲子園というのはどうかと私は思うんですが……もう少しホラ、一般的というか、普遍的というか、ネチネチネチ……」。ガーン!!我が家に明智光秀の本能寺の変が出たー!! いや、どこか周囲から反対意見もあろうかと少しは思ってはいたけど、ウ~ン、身内から出たかァ!?

 しかし、俺はもちろんママリンも甲子園だけは譲れない!! 一方、あちらも、「どうか甲子園を考え直してもらえないか」とお互い一歩も引かないままに出生届の一応の時限と思われる2週間がジワジワと迫ってきたのだった……。

「窮鼠猫を噛む」。追い詰められた俺はついに大勝負に出たのだ! 「お母さん、じゃ甲子園以外ならいいのですね?」「そうね、甲子園だけはちょっとねえ……」「わかりました、実は俺は阪神以外にもうひとつ、マラソンが好きなんです。だからイカンガーという名にしようと思います」。イカンガーはタンザニアの黒人ランナーで東京国際マラソンや福岡国際マラソンなどで優勝し、日本マラソン陣を怯えさせるランナーであった。

 勝負は一瞬にしてついた。「実さん、甲子園にしましょう!!」。こうして我が子・甲子園は誕生したのであった。=つづく

(ダンカン/お笑いタレント・俳優・放送作家・脚本家)