周防正行~「社交ダンス見学自由」という看板がきっかけとなった『Shall we ダンス?』

引用元:ニッポン放送
周防正行~「社交ダンス見学自由」という看板がきっかけとなった『Shall we ダンス?』

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、映画監督の周防正行が出演。映画の題材との出会いについて語った。


周防正行~「社交ダンス見学自由」という看板がきっかけとなった『Shall we ダンス?』


ニッポン放送「あさナビ」

周防)映画監督としてではなく、普通に生きる生活人としての驚きがスタートになっています。例えば『シコふんじゃった。』の場合、その日初めてまわしを締めた少年が、国技館の土俵に上がっているということを知って驚きました。大学の相撲はセミプロというか、大相撲に近いポジションと考えていました。そうではない、痩せた人が土俵に上がっていたのです。映画は誇張ではなく、ああいう学生たちが相撲をとっていたのですよ。

黒木)『Shall we ダンス?』や『それでもボクはやってない』なども。

周防)これもそうです。主人公と一緒で、電車のなかからビルで社交ダンスをしている姿が見えて、そこの窓に「社交ダンス見学自由」と書いてありました。そういえば僕が子どものころから、駅の近くにダンス教室があるなあとは思っていましたが、30年以上そこで踊っている人を1人も知りませんでした。そのことを東宝の人に話したら、「1度東宝のダンスホールで見学しませんか?」と誘っていただいたのです。行ったら、勤め帰りのサラリーマンが更衣室に消えて出て来ると、背筋を伸ばして、とても日本人とは思えない姿勢と表情でした。そして、お姫様のようなおばさまたちをエスコートして踊り始めるではないですか。一方、隅ではラテンのダンスを激しく踊る、竹中直人さんのような人もいる。「こんな日本人は知らない」と驚きました。それで社交ダンスの取材を始めたら、あのダンス教室の向こうに、イギリスのブラックプールに憧れる「ダンス大会」があるというのを知りました。「これは、駅を1歩降りたサラリーマンの冒険物語ができる」と思いました。最初は驚きですね。『それでもボクはやってない』では、新聞で見た痴漢事件で東京高裁逆転無罪の裁判の経過を読むと、それまで漠然と考えていた裁判と違いました。それで取材を始めて、あの映画になりました。

黒木)『ダンシング・チャップリン』は?

周防)これは草刈(民代)と結婚して、日本のバレエに驚きました。『ダンシング・チャップリン』とは振付家のローラン・プティ氏の作品で、ローラン・プティ氏はコンテンポラリーとは言えない古典のような存在でした。草刈と生活して、驚くことがたくさんありました。

黒木)例えば?

周防)ゴミを拾うときに膝を曲げないとかね。膝を曲げるのは、次の動作への準備なのですね。

黒木)ごみを拾うのにプレパレーションはいらないと。

周防)びっくりが積み重なり、ローラン・プティ氏と草刈の関係を見ていて、彼女が踊らなくなったら『ダンシング・チャップリン』という作品自体が踊られなくなってしまう。プティ氏はチャップリンを踊り続ける、ルイジというダンサーのためにつくりました。前々から草刈は、ルイジと踊ったら面白いと言っていました。草刈もバレエを辞めるということだったので、それならばルイジと最後に映画で、『ダンシング・チャップリン』を残したいと思いました。バレエの驚きをみんなに伝えたかったのです。

黒木)そういう経緯があって、『ダンシング・チャップリン』ができたのですね。