シンデレラエキスプレス 師匠はいとし・こいしと嘘ついた

シンデレラエキスプレス 師匠はいとし・こいしと嘘ついた

【役者・芸人「貧乏物語」】シンデレラエキスプレス(漫才師)

 関西の実力派漫才師として知られるシンデレラエキスプレス。松井成行さん(55)は弁当配送で体力をつけて、渡辺裕薫さん(52)は先輩芸人におごってもらってしのいでいたが、2人して大御所にウソがバレそうになり……。

■時給490円でコンビニバイト。本当にお金がなかった

松井(写真左) お弁当をいろんな会社の食堂に届けるバイトをデビュー前からやってました。多めに持っていくと、たいてい余りますから、自分で昼に2個食べてました。会社の階段上って運ぶから体力もついたし、汗かいて体によくて、お米をガスで炊くからおいしくて(笑い)。僕らがデビューした89年ごろはまだ若手が少なく、劇場に出られたけど、お弁当の配送が昼前にあるから、新人のクセに「バイトがあるから出番を中入り後にしてくれ」と言って、バイトのために劇場のスケジュールを調整してもらった。劇場のギャラは安いけど、弁当配送は時給1300円でしたから! 15年くらいそのバイトを続けたので、貧乏ではなかったんです。芸人でガッポリ稼いだ時期もないんですけど(笑い)。

渡辺(同右) アメリカのニューヨーク生まれですけど、1年で奈良に越してますから、アメリカの記憶もなくて、ヘソの緒もないです(笑い)。若手の頃にコンビニでバイトして時給が490円からスタートでしたから、本当にお金がなかった。先輩から劇場の近くにある大きなビアガーデンのビール無料券をもらうと、若手たちで飲みに行くんですよ。そこには松竹も吉本も舞台が終わった先輩たちが飲んでるので、挨拶に回ると、食べ物をおごってくれたり、ビールも追加で頼んでくれる。それでテーブルの上が賑やかになり、大宴会ができました。松竹と吉本が今よりギスギスしていた時代でしたけど、その店では仲がよかった。店の名前が「ミュンヘン南大使館」て名前で、「大使館やから事務所に関係なく集えるんやな~」と。

松井 僕はお弁当のバイトを辞めたタイミングで「電波少年」(日本テレビ系)の仕事が入ってから少し生活が変わってきました。大好きな巨人の試合をずっと見てる仕事で楽しかった。ただ大阪の部屋を何カ月も空けるので、大家さんには「夜逃げやないから。テレビ見てくれ。家賃は帰ったら払うから」と告げて。それからボチボチ仕事いただけるように。

渡辺 先輩といえば、大御所のいとし・こいし師匠とはこんなことがあった。僕ら養成所出身なので、弟子入りした師匠はいないんです。劇場でいろんな先輩から「師匠はだれや?」と聞かれ「いません」と答えると、急に厳しく当たられ、接し方が冷たくなる。ある日厳しい先輩から「師匠はだれや」と聞かれ、とっさに「いとし・こいしです」とウソついたんですよ。その日からみんなメッチャ優しくなって。「ご飯食べてないやろ」とうどんを頼んでくれたり小遣いくれたり。それでしのいでました。そしたら特別興行の時に、いとし・こいし師匠と一緒になってしまい、「バレる!」と思い、ずっと師匠のそばで「お着替え、手伝います!」と弟子のフリをして、周りにバレずにごまかし通しました(笑い)。

松井 後輩芸人連れて合コンとか夜遊びばかりしてたけど、40歳すぎで結婚してからは嫁さんに管理されて夜遊びもしなくなり、生活がまともになりました。保険なんて「芸人がそんなことやる必要あるのか」と面倒に思ってたけど、嫁がやってくれてますし。来年の目標は、上方の漫才は上の世代の方が亡くなられたり、お体を悪くしたりしているのが寂しくて、僕らの代が舞台を盛り上げていきたいと思ってます!

渡辺 大阪でぜひ寄席を見てください!

 (聞き手=松野大介)

▽松井成行(まつい・なりゆき) 1964年9月、大阪府生まれ。
▽渡辺裕薫(わたなべ・ひろしげ) 1967年11月、米国生まれの奈良県育ち。

 88年、漫才コンビ・シンデレラエキスプレス結成。89年、第19回NHK上方漫才コンテスト優秀賞、93年、第12回高田文夫杯争奪OWARAIゴールドラッシュ優勝など。