娘アンナの再婚願い…故・梅宮辰夫さんは闘病中も家族を気遣う

娘アンナの再婚願い…故・梅宮辰夫さんは闘病中も家族を気遣う

 慢性腎不全のため、81歳で亡くなった梅宮辰夫さんは、辛い闘病を強いられた晩年も、自分のことよりも家族を心配し、気に掛けていたそうだ。

「昨秋に前立腺がん、今年に入って左腎盂(じんう)尿管がんの手術、腎臓をひとつ摘出した梅宮さんは週3回、毎回4時間の人工透析を受けるようになりました。それ以降痩せ細り、弱音や泣き言をほとんど口にしないできたのが『疲れた』などと言うようになり、辛そうで、アンナは代わってあげたいと言うほど心配していた。そんなときであっても、アンナにはもう一度早く嫁に行けと言い、クラウディアさんの体調をおもんばかり、孫娘の百々花ちゃんは元気かと心配していたというのです」(スポーツ紙芸能デスク)

 アンナは2001年に結婚するも約2年で離婚。シングルマザーとなり、長女の百々果さん(17)を育てている。梅宮さんは父親のつもりで面倒をみていたそうだが、「やっぱり父親とお爺ちゃんにはどうしても開きがある」と一部で語るなど、公にも再婚を促していた。

「さらにクラウディアさんが昨年膠原病と診断され、その治療の中で骨がもろくなり、股関節周辺を骨折して、梅宮さんと同じ病院の隣室に入院したりしていた。車椅子や杖を使うようになった愛妻を梅宮さんが心配したのはもちろん、両親ダブル介護のようになってしまったアンナの心労も気に掛けていた。だからこそ、渋谷区松濤の自宅を売却し、神奈川県真鶴町に居を移してからも、自ら糠床をかきまわしたりして、得意の料理をふるまったりしていたそうです」(前出のデスク)

 ことし2月には、長女百々果さんが自転車で通学中、原因不明の体調不良で体全体の力が抜けて歩道橋のスロープを上がれなくなり転倒、検査入院となった。MRI検査で異常は見られなかったが、しばらく手足にしびれが残った状態が続き、「私以外みんな車椅子でした」とアンナはブログで綴った。そんな孫娘を梅宮さんも心配だったに違いない。

 亡くなる3日前に忘年会に出席し、前日には「久米島で釣りがしてえ」と話し、来年の年賀状には「今年も元気な姿を見せるから」とのメッセージを綴っていたと報じられる梅宮さん。12日深夜に呼吸が止まり、緊急搬送された病院で蘇生措置が行われたものの、意識を取り戻すことなく逝ってしまったが、梅宮さん自身、あまりに急な展開に何が何だか分からないままの最期だったのではないか。

 梅宮さん主演の大ヒットシリーズ、映画「不良番長」への出演から親交のあった和田アキ子は、TBS系ドラマ「スクール☆ウォーズ」(1984年)で夫婦役を演じたときのことを振り返り、「朝の3時半とか4時に電話かかってくるんですよ。アンナのことだけど、堀越って学校はアンナでも入れるのかとか聞かれました」とラジオで語った。「子どものこと、すごく心配していたと思う」とも。

 アンナは大好きなパパを亡くしたショックで憔悴し、14日の密葬でも報道陣の前に立つことはできなかった。約100人の参列者の前で泣き崩れ「最高のパパでした」とのメッセージを出したそうだ。

 そんなアンナ、クラウディアさん、そして百々花さんをあの世から見ているとすれば、さぞかし気を揉んでいることだろう。

 どんな人生を送ろうと、死に直面すると、多くの人が心残りを感じるのだという。それは昭和の大スター、辰兄とて、例外ではないのかも知れない。