高橋克典 芸能界入りのきっかけは梅宮辰夫さんの「やめておけ」のひと言

引用元:東スポWeb

 二枚目俳優の高橋克典(54)が12日深夜、公式ブログを更新し、同日朝に慢性腎不全で亡くなった名優・梅宮辰夫さん(享年81)との思い出を語った。2人は親戚関係にあり、高橋は同日夜に会見を開いていた。

 高橋は「僕が知る叔父は、胃癌からの生還後、変わりゆく時代の流れの中で悩んだ挙句、倉本聰先生の『前略おふくろさま』に出演、映画界からテレビへの移行を果たしたあとの叔父。そしてアンナが生まれてからはほんとうに子煩悩、家族のために切り替え活動する姿が印象的でした。『前略』の現場を見学させてもらった時の事は、後にトラウマとなって、僕の一生にとって大きな出来事となりました」と、梅宮さんの現場を見たことが、芸能界入りのきっかけだったと打ち明けた。

 芸能界入りの夢を打ち明けた際は、こう伝えられたという。

「迷わず『やめておけ』と。お前みたいな地味な顔はこの世界ではやっていけない、と思ったんだ、と後に笑って話してくれました。でも実はな、当時、俺もとても大変な時期でもあったしな、と、この世界で生き抜く大変さをも言いたかったとも。お前はしっかりした家庭なんだからしっかり大学を出てしっかりカタギになれ、と。笑」

 だが、高橋の負けん気の強さは叔父譲りだった。

「叔父にやめておけと言われ、ならば自分でやってやると奮起し、自分で探し、出逢い、やってきたことはとても価値があるものとなりました。叔父が、どこか見えないレールをひいてくれたことを感謝してると、テレ朝のドラマ撮影の合間に話しました」

 梅宮さんとは長年、高橋の人気を不動のものにしたドラマ「特命係長 只野仁」(テレビ朝日系)で共演するなど、公私ともに交流があった。15年もの間、撮影の合間に談笑し、さらに絆を強めた。

「俺は芝居が下手だからなぁ、と言いながらも、具合が悪く、うまくいかなかった次の病み上がりのクールでは、長い説明台詞も完璧に覚えてこられ、1度のNGも出さずやりきられた姿にやはり俳優の意地を見せていただきました」

 目の前で名優の意地を見て学んだことは多かったようだ。

「『仁義なき戦い』の最後の作品となった、2002年に撮影した続編の出演が決まった折、1番に辰夫叔父に挨拶をと電話をかけると『あれは俺たちが本当に精魂込めて、生命削るようにして作った作品だからな、ちゃんとやってくれよ。』と渡されたバトンはとても重いものでした。そして当時沢山の逸話のあった伝説の東映京都太秦撮影所の門をくぐると、演技事務の方が『辰兄ぃから電話をもらったよ』と。僕には何も言わず、よろしく頼むと電話を入れてくれてたんですね」

 芸能界入りに反対しながらも、実は高橋のことを気にかけ、常に気遣いを欠かさなかった梅宮さん。高橋には感謝しても仕切れない恩人だったようだ。