さらば「辰にい」 昭和の大スター梅宮辰夫さん死去、81歳 夫人、アンナ、孫にみとられ

 ◇俳優の梅宮辰夫さん死去

 映画「不良番長」シリーズやテレビドラマ、バラエティー番組など幅広く活躍した俳優の梅宮辰夫(うめみや・たつお)さんが12日午前7時40分、慢性腎不全のため神奈川県内の病院で死去した。81歳。旧満州(現中国東北部)ハルビン市生まれ。葬儀・告別式は14日に近親者で行う。実業家の顔も持ち、釣り好き、料理好きの趣味人。生涯に6度のがんと闘いながら全力で家族を愛した良き家庭人でもあった。

 

 「辰ちゃん」の愛称で親しまれ、後輩からは「辰にい」と慕われた梅宮さんが令和最初の師走に波乱の生涯を閉じた。

 闘病生活が続いた梅宮さん。昨年5月に東京都内の自宅を売却して真鶴町の別荘で暮らしていたが、この日午前3時ごろに容体が急変したという。遺体は真鶴から都内に搬送され、そのまま安置された葬儀社で午後3時頃にマネジャーが取材陣に対応した。

 梅宮さんは今年1月24日に尿管がんの手術を受け、左側の腎臓を摘出。3月に退院したものの、月、水、金曜と週に3回、人工透析を受けていた。前日11日も午前9時から4時間の透析を受けた。

 夕刻に帰宅し、1階リビングで休んだ。いつもと変わらない様子だったため、マネジャーは帰宅したが、午前3時すぎにクラウディア夫人(75)が様子を見に行った際、脈が取れない異変に気付き救急車を呼んだ。集中治療室(ICU)で心臓マッサージが施されたが蘇生せず、東京から向かった娘の梅宮アンナ(47)と孫の百々果さん(17)の到着を待つように息を引き取った。主治医にはクラウディア夫人が「いい顔をしてますね」と感謝の言葉を贈り、主治医も泣いていたという。

 最後のドラマは脚本家の倉本聰さん(84)から直々に出演依頼を受け、男気を感じて出演を決めたテレビ朝日の「やすらぎの刻~道」で、10月17日に収録が行われた。

 最近の梅宮さんは何度も釣りに出掛けた沖縄県久米島の名前を挙げ「行きてえなあ」とつぶやいていたという。体はしんどそうでも気力は十分で、年賀状も準備。「また今年(20年)も元気な姿をお見せします」としたためていたそうだ。

 振り返れば、壮絶な闘病人生だった。30代半ばの74年に睾丸(こうがん)がんを患い、その後も肺がん、胃がん、16年には十二指腸乳頭部がんが見つかった。この際は、十二指腸と胆のうを全摘出し、膵臓(すいぞう)と胃の一部も切除する大手術だった。

 18年3月15日には都内ホテルで「生誕80年・芸能生活60年を祝う会」と題した初のディナーショーを開催したが、ホテルに到着した際に転倒し、顔面を30針縫うケガを負った。病院で手当てを受けばんそうこうとサングラス姿で乗り切った。

 仕事も遊びも常に全力投球。娘アンナが羽賀研二被告(強制執行妨害罪などで公判中、58)と交際を始めると、猛反対する親バカぶりも見せた。山城新伍さん、松方弘樹さんら盟友が一人、また一人と先立っていくことに「寂しいなあ」とつぶやくことが増えていたそうだが、天国での再会は近い。

 《派手な女性遍歴》若いころの梅宮さんは、スターらしく女性遍歴も派手だった。68年には当時3年間同棲していた一般人の女性と婚約を解消。その年の12月にホステスの女性と結婚したが、半年で離婚した。同時期に銀座のクラブで働いていたクラウディアさんと知り合い、72年3月に再婚。同年8月に長女・アンナが誕生してからは、すっかりマイホームパパになった。

 ◆梅宮 辰夫(うめみや・たつお)1938年(昭13)3月11日生まれ、旧満州出身。日大在学中の58年に東映ニューフェース5期生に合格。翌59年「少年探偵団 敵は原子潜航艇」でデビュー。代表作に「不良番長」シリーズ、「仁義なき戦い」などがある。75年テレビドラマ「前略おふくろ様」に出演し、板前役が評判に。3月に同ドラマで共演した萩原健一さんが68歳で亡くなると「ズバぬけた感性を持っていた」としのんだ。