『カッコーの巣の上で』ジャック・ニコルソンのパワフルな名演が時代を超えて突きつけるメッセージ

引用元:CINEMORE

 がんじがらめに管理しようとする体制側と、それに抗って自由を獲得しようとする個人ーーーー。私たちはどれほど多くの映画でこういった対決の構図を目の当たりにしてきたことだろう。ざっと思い返してみただけでも、『1984』(84)『いまを生きる』(89)『トゥルーマン・ショー』(98)『マトリックス』(99)などなど、地中から水が噴き出すかのように有名作のタイトルが止まらなくなる。

 この「組織と個人」「管理と自由」というテーマは、あらゆる時代、そしてあらゆるジャンルの映画に形を変えて潜り込み、観客の心を熱くたぎらせてきた。人類が宿命のごとく格闘し、その時代に合わせて答えを模索してきた、普遍的な題材と言えるのかもしれない。

 1975、11月。アメリカで封切られた一本の映画が、観客の大きな感動を呼び、大ヒットを記録した。アメリカン・ニューシネマの時代が幕を降ろそうかというご時世に、颯爽と舞い降りたこの作品こそ、『カッコーの巣の上で』である。

 舞台となるのは、60年代の精神科病棟。看護師長の手によって厳格に統制されたその場所に、ジャック・ニコルソン演じる精神疾患を偽った受刑者が入り込んできたのをきっかけに、患者たちの間で自由を求める大きなうねりが巻き起こる。つまり、本作もまた「組織と個人」「管理と自由」というテーマを扱った代表的な物語なのだ。


『カッコーの巣の上で』ジャック・ニコルソンのパワフルな名演が時代を超えて突きつけるメッセージ


(c)Photofest / Getty Images

父カーク&息子マイケル・ダグラス、念願のプロジェクト

 1962年に発表された小説をベースにした本作は、もともとブロードウェイ版の主演を務めたカーク・ダグラスが映画化の権利を取得していた。名優かつ名プロデューサーでもあった彼はある時、チェコ・スロバキア在住の映画監督ミロス・フォアマンの才能に惚れ込み、「ぜひ監督してほしい企画がある。必ず脚本を送るから」と告げていたという。しかしフォアマンが待てど暮らせど約束の脚本は届かない。あれはカークの社交辞令だったのだろうか、と半ば忘れかけていた頃、70年代に入ってようやくカークから権利を引き継いだ息子のマイケル・ダグラスから連絡が届いた。

 マイケルが言うには、父カークは決して約束を忘れておらず、当時、ちゃんとチェコの住所に「カッコーの巣の上で」の原作小説を送付したとのこと。改めて調べてみると、確かに小説は送られていた。だが、どうやら検閲で引っかかっていたようだ。当時、チェコは社会主義体制下であり、自由の定義が今とは大きく異なっていたのだ(ミロス・フォアマンは1968年のチェコ事件を機にアメリカへ移住している)。

 こうして時間は多少かかったものの、ダグラス父子の思いはきちんとミロス・フォアマンの手に届いた。そして本作について改めて検討するうちに彼の中でハッと気づかされるものがあったという。それは、フォアマン自身も主人公のマクマーフィや他の入院患者たちと全く変わらぬ立場の人間だということだ。

 「あの病院は、まさに私が20年間過ごしてきた社会構造と同じだ。私には彼らの気持ちがよくわかる。この映画のあらゆる細部には、私自身が肌身に感じてきた経験が生きているんだ」

 もともとアメリカン・ニューシネマとは、体制に対して反旗を翻したり、既存の観念を打破しようとする思いが凝縮したムーブメントだった。その流れの中で本作は、チェコ出身のミロス・フォアマンの切実な想いが重なり合うことで、時代の風を鮮烈に捉えた作品へと結実していったわけである。

 「もっとリアルに!!」

 フォアマンは「もっとリアルに!」が口癖だった。彼が追い求めるのは表面的なリアルではなく、内面からほとばしる唯一無二の情熱的なもの。これを手にするためには、撮影に適した「場所」を見つけ出し、さらに最高の「俳優陣」を見つけ出すことが欠かせない。

 主演にはジーン・ハックマンやバート・レイノルズらが検討されたこともあったというが、ジャック・ニコルソンの名が挙がると誰もが「それしかない」と答えが一つに定まった。しかしスター俳優の彼をキャスティングするとなるとスケジュールが空くまで半年待たねばならない。彼らは当然ながら「待つ」と答えた。こうして生まれた半年間の準備期間こそが、本作に底知れぬリアルさとダイナミズムをもたらす要となっていった。

 本作が映画スタジオで撮られたものと受け取る人も多いようだが、それは違う。これは全て実在する精神科病棟を使って撮影されたものだ。使用許可を与えた病院の院長(彼は本作に出演もしている)からは「セラピーの意味も兼ねて患者たちを映画製作に関わらせてほしい」というリクエストもあったという。