追悼・松本ちえこさん 今も脳裏に浮かぶあのバスボンのCM

【芸能界クロスロード】

♪まんまる顔の女の子はいい妻になれるって

 決して上手ではなかったが、16歳の女の子らしく、けなげに歌う声と、あどけなく笑う顔が今も思い出される。11月17日に死去した松本ちえこさん(享年60)がトップアイドルになるきっかけとなった資生堂のCMだった。このCMをきっかけに、松本は瞬く間に茶の間のアイドルに上り詰めた。

 天地真理・南沙織ら女性アイドルブームが始まった70年代に現れたのが松本だった。芸能界はスカウトらが熱心にタレントの卵を探し出していた時代だったが、松本にタレント志望はなく、「小遣い稼ぎのつもり」でテレビ番組に出演。スカウトマンの目に留まり芸能界入り。右も左も分からないうちに2年後のCMにつながった。まさにシンデレラストーリーだった。

 鉄ならぬ、人気は熱いうちに打て! は芸能界の鉄則。早々に次なる展開に移る。歌手・タレントと活動の場を広げていった。特に大ヒットした歌はなかったが、彼女の魅力はおしゃべり。どこにでもいる普通の女の子のように、ざっくばらんに話す庶民感覚を持っていた。好感度も高く、一時は引っ張りだこの人気者になっていたが、アイドル人気は長くて3年。10代のアイドルが売るアイテムには限界がある。次第に人気にも陰りが出始める。20歳の時――。松本は男性誌のグラビアにヌードで登場した。「あのバスボンの子が脱いだ」と大きな話題になった。後に取材した話では「アイドルから次なるステージに向かうための方法としてのヌードだった」という。

「当時は月刊男性誌もあり、グラビアを競っていた。話題の人を脱がすかが雑誌の売れ行きに直結した。専門のコーディネーターもいて口説いていた。狙いは一世を風靡(ふうび)した後、壁に当たり、悩み、次なるステップに踏み出すきっかけとしてヌードがあった。離婚した女優がヌードになったのもそうです」(元グラビア編集者)

 アイドルが脱げば、さらなる展開も待っていた。にっかつロマンポルノである。石原裕次郎らアクション映画からポルノ路線に切り替えたにっかつは、既成のポルノ女優から、他のジャンルから進出する人も探していた。歌手の畑中葉子や五月みどりらも出演したにっかつ。松本もそのひとりだった。

 私生活でも松本は次なるステージに立った。未婚の母だった。後には結婚するも、やがて離婚。シングルマザーとして子育てが一段落すると、時代の流れに合わせるように今度はヘアヌード写真集を出版。再び脚光を浴びたこともあった。

「アイドルを演じ清純派のベールをかぶっている自分が息苦しくなった反動がヌードであり、奔放な恋愛だったと思う。アイドル後の決断は松本自身の意思だったそうですから」(芸能関係者)

 昭和の時代をアイドルとして疾走していった松本ちえこさん。今も脳裏に浮かぶのはあのバスボンのCMで見せた愛くるしい顔である。合掌。

(二田一比古/ジャーナリスト)