佐藤蛾次郎、山田洋次監督のオーディションに2時間以上の大遅刻!それでも起用されたワケ

引用元:テレ朝POST

映画『男はつらいよ』シリーズに帝釈天題経寺(柴又帝釈天)の寺男・源ちゃん(源公)役で第1作目から出演し、渥美清さん演じる主人公・寅さんとの絶妙なコンビネーションを繰り広げ、ファンから愛されている佐藤蛾次郎さん。

山田監督や“寅さんファミリー”と出会って50年。12月27日(金)には『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(1997年)以来、22年ぶりとなる新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開される。おなじみのはんてん姿で愛嬌と哀愁を漂わせ、独特の存在感を放っている佐藤蛾次郎さんにインタビュー。


佐藤蛾次郎、山田洋次監督のオーディションに2時間以上の大遅刻!それでも起用されたワケ


『男はつらいよ』劇中で着用していた法被を着て取材に答える。

◆山田洋次監督のオーディションに大遅刻、その理由は…

蛾次郎さんが俳優になったのは、1953年、小学生のときに「朝日放送児童劇団」の募集記事を見た父親と姉が応募して受かったことがきっかけだったという。『男はつらいよ』シリーズをはじめ、山田洋次監督作品には数多く出演しているが、初めての出会いは、20代前半。映画『吹けば飛ぶよな男だが』(1968年)のオーディションだったという。

「大阪の事務所にいたときで、事務所の社長が『東京の山田洋次という偉い監督が、映画のオーディションに来る』って言ったから、『へー、誰だよ、知らねぇよ』って言ったの。

そうしたら『あんたは知らないだろうけど、偉い監督でオーディションに来るから、事務所に11時に来なさい。あんたはよく遅刻するから、ちゃんと来なさいよ』って言われたんだけど、1時半頃行ったの」

-2時間以上遅れてですか?-

「そう。だって行く気なかったんだもん。その頃モダンジャズがはやっていてさ、コーヒー飲みながら聴いていたの。オーディションのことなんて忘れちゃってさ(笑)。

それで、『そういえば、きょうは山田なんとかが来るって言ってたな』って、やっと思い出したのが1時半。

とりあえず事務所に行ったらマネジャーが飛んで来て、『こんなに遅れて何をやってるんだよ。オーディションはとっくに終わっちゃったけど、なぜか監督がお前を待っている』って言うんだよね。

それで行ったら、山田監督とうちの事務所の社長とプロデューサーとあと何人かがいたんですよ。

でも、俺はやる気がないし、いやだなあと思っていたから、行くなり足を組んでタバコをフーッて吹かしてさ。監督は笑ってましたよ。『こいつ変わった野郎だな』と思ったんだろうね。

それで、『佐藤君はどんな役をやりたいんだい?』って聞くから、『俺かい?俺は不良みたいなのがやりたいんだよ、不良、不良』って言ったら笑っていましたね。周りは『ちゃんと答えろ』って言っていたけどね(笑)。

それから10日ほどして山田監督から事務所に『佐藤蛾次郎を使いたい』って電話があったんだけど、事務所は『いやいや、あの子はやめたほうがいい。遅刻するし、芝居も上手(うま)くないですよ』って言ったみたい。

監督が、『お前ずいぶん嫌われていたな。俺が使いたいって言うのに断られた』って言ってましたよ(笑)」

事務所からは「蛾次郎さんの起用をやめたほうがいい」と言われた山田監督だったが、映画『吹けば飛ぶよな男だが』に起用することに。

「採用されて撮影のときに監督に『2時間もオーディションに遅れたのび、なぜ僕を待ってたんですか』って聞いたの。

そうしたら、あるプロデューサーから『山田さん、大阪に1人ちょっと変わったやつがいる。ふざけた野郎で遅刻してきますよ。だけど面白い』って聞いていたみたい。

それで実際に会ってみたら、遅刻して来て足組んでタバコ吸って『ヘーッ!』だもん(笑)。面白いと思ったんでしょうね。それですごくいい役で使ってもらって。ほとんど準主役みたいなすごくいい役で頑張りましたよ。一生懸命やりました」

※佐藤蛾次郎プロフィル
1944年8月9日生まれ。大阪府出身。映画『男はつらいよ』シリーズ、映画『戦国自衛隊』(1979年)、映画『任侠学園』(2019年)、ドラマ『天皇の料理番』(TBS系)、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)など、映画、テレビに多数出演。芸能界屈指の料理上手として知られ、料理に関する著書も出版。銀座で「Pabu 蛾次ママ」を経営し、長男で俳優の佐藤亮太さんとともにお店にも出ている。