可能性のドア解放 氷川きよしは自分の性分をさらけ出す【今週グサッときた名言珍言】

可能性のドア解放 氷川きよしは自分の性分をさらけ出す【今週グサッときた名言珍言】

【今週グサッときた名言珍言】

「自分は枠から飛び出して、自分っていうものを、自分の世界っていうものを表現してみたいなっていうのがあって」(氷川きよし/NHK「あさイチ」3月13日放送)

  ◇  ◇  ◇

 今年2月にデビュー20周年を迎えた氷川きよし(42)。昨今は真っ赤なエナメルのホットパンツでロックテイストのアニメソング「限界突破×サバイバー」を歌ったり、フェミニンなメークやファッションに身を包んだ姿を見せるインスタグラムなど、枠に収まらない自由な活動が目立っている。

 人はどうしても「演歌歌手・氷川きよし」などとカテゴライズする。それはありがたい、と前置きしつつ語った言葉を今週は取り上げたい。「ホントに苦しかったので」と彼は続けた。

 氷川きよしのCDデビューは2000年。当時の演歌界は女性歌手全盛で、若い男性の歌い手はほとんどいなかった。そんな中でのデビューとあって、名付け親をビートたけしとする演出で箔を付け、たけしと志村けんの番組「神出鬼没!タケシムケン」(テレビ朝日)に度々出演するなどして知名度を上げていった。

「当時、“コロムビアレコード90周年記念アーティスト”、“北野武監督命名”という2つの冠があって。力を入れてもらいましたよね。“それにどう応えよう”“結果を出さないといけない”という気持ちは大きかったです」(主婦と生活社「週刊女性」19年2月19日号)

 演歌界の将来を担う逸材として「演歌らしさ」や「男らしさ」を求められ、それに応え続けてきた。しかし、そのギャップに悩み続けていた。そんな時、湯川れい子に「あなたはあなたらしくやりなさい」と言われ、初めて自分が肯定できたという。

「みんなが求める『氷川きよし』に徹してきたけど、40歳を過ぎて、人としてもっと表現の幅を広げたいという気持ち。そもそも演歌というのは様式美、つまり、こうあるべきという型がある。日本独特の素晴らしい音楽だけれど、その中に収まらない『自分の性分』というものもあって」(新潮社「週刊新潮」19年12月19日号)

 自分の“可能性のドア”を開放し、その性分をさらけ出し始めた氷川きよし。「フレディ・マーキュリーの苦悩や寂しさ……。求めても、努力しても手に入れられないものがある苦しさ。大スターゆえの孤独……。共感できたし、刺激を受けました」(中央公論新社「婦人公論」20年2月10日号)と、湯川れい子訳詞でQUEENの「ボヘミアン・ラプソディ」をカバーしたのも大きな話題となった。

「今までの苦難も含めて全部をさらけ出し、歌にのせて表現することで、こんな私でもここまで頑張って生きてこられたんだ。そう伝えるのが歌手としての使命。人生の後半は、それを表現していく生き方をしたい」(同前)

(てれびのスキマ 戸部田誠/ライタ―)