確執の真相語った佐藤浩市が逃れられない「親子の因果」の連鎖

確執の真相語った佐藤浩市が逃れられない「親子の因果」の連鎖

 映画コメンテーターのLiLiCoが今月8日、映画「Fukushima 50」で主演の佐藤浩市(59)にインタビューした写真をブログに掲載したことで始まった佐藤の“激ヤセ騒動”。目は落ち込み、頬はゲッソリと痩せこけ、ダボダボのスーツを着た佐藤の姿にSNS上では「重病説」まで飛び交った。

 その後、佐藤は「週刊文春」の取材に応じ「昨年9月くらいに大腸のポリープを取りましょうという話があり、年明けに内視鏡の手術を受けた」と説明。その後、2月下旬にも再手術。トータル1週間程度絶食し、体重は5キロ強落ちたと話した。

 ポリープは悪性ではないらしいので一安心といったところだが、その一方で佐藤といえば、マスコミに何度も取り沙汰されてしまうのが、父であり俳優の三国連太郎さん(享年90)との確執。これについても最近、佐藤は「女性自身」(3月20日配信)で赤裸々に語っている。

 三国さんは生涯で4度結婚し、佐藤は3番目の妻の子だった。記事によれば佐藤が小学校5年の時、父である三国さんは家を出て、中学校の時には両親は正式に離婚。「これが君との最後の別れだ。君はおふくろのところへ帰れ。僕は放浪生活を始めるから」と伝えられたという。佐藤はその後、役者の道を志したが「僕は何も教えられないよ。だったら親子の縁を切りましょう」と言われたと明かしている。佐藤は「別に不仲だったわけではないんですよ。一つだけ言えるのは、僕も、きっと三国も、一緒にいることのハードルを変に上げすぎたんですね」としている。

 映画プロデューサーの奥山和由氏はかつて日刊ゲンダイの連載で、佐藤のデビュー当時の三国さんの“ある行動”を明かしていた。三国さんは、佐藤のドラマのクランクインの際、お忍びで自らスイカの差し入れをしてきたという。しかし佐藤に知られたくないため、送り主は伏せられたまま。三国さんもそのまま帰ってしまった。奥山氏は「この愛憎相半ばする三国さんと佐藤さん親子の関係は、役者の親子としては最高ではないでしょうか」とつづっていた。

■長男・寛一郎も嫌う“親の七光”

 芸能ジャーナリストの城下尊之氏はこう話す。

「佐藤浩市さんは1980年に若山富三郎主演のドラマ『続・続事件』で比較的恵まれたデビューを果たしました。初日に泣くシーンで涙が出なくて大変だったそうですが、やはり周りはみんな『三国連太郎の子』であることを知っているので、どこかで忖度が働き、いい役が回ってくるわけです。しかしその後は、それにあぐらをかくことなく役者として相当な努力を重ねてきたと思います。彼は『運がよかっただけですよ』とサラリと言いますが、“親の七光”だけではここまでの評価は得られません。彼はそれを超える努力でいい役、いい作品に巡りあってきたのだと思います」

 さらに佐藤の長男・寛一郎(23)も2017年から役者として活躍している。寛一郎は木村拓哉主演のドラマ「グランメゾン東京」ではアルバイトの青年役を好演。役者としては超サラブレッドだが、佐藤と同じく、芸名に父の名字を付けず、父親の名前を出されることも嫌っているという。

「やはり血は争えないといったところでしょうか。しかしそれにより、いい意味での“因果の連鎖”が起きているのではないでしょうか」(前出の城下氏)

 佐藤が1996年、映画「美味しんぼ」で三国さんと初共演を果たしたのは35歳の時。今年は早くも佐藤と寛一郎の初共演作が控えているというが、ふたりは役者同士という“親子の因果”をどう乗り越えていくのだろうか――。