女優の宮城まり子さん死去…歌手で紅白8度、養護施設「ねむの木学園」設立

 1955年のヒット曲「ガード下の靴みがき」などで知られる歌手で女優、宮城まり子(みやぎ・まりこ、本名・本目真理子=ほんめ・まりこ)さんが21日午前6時55分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去したことが23日、分かった。93歳だった。

 亡くなった21日は故人の誕生日。肢体の不自由な子供たちの養護施設「ねむの木学園」の設立者で園長を務めており、27日に関係者のみで学園葬が営まれる。

 宮城さんは優しく伸びやかな歌声で50年に歌手デビュー。靴磨きで生きる戦災孤児を歌った「ガード下-」や「毒消しゃいらんかね」などがヒットし、NHK紅白歌合戦に8度出場。一方で市川崑監督の映画「黒い十人の女」(61年)などに出演し、60年代後半からは舞台で活躍した。

 脳性まひの子供役を演じたことがきっかけで障害児が学校に行けない状況を憂い、68年に私財を投じて静岡・浜岡町(現御前崎市)に「ねむの木学園」を設立。園長に就任した。97年に同県掛川市に移設し、美術館や成人向け身体障害者療護施設などを併設した「ねむの木村」を開設。私生活では作家、吉行淳之介さん(94年死去、享年70)がパートナーだった。

 毎年、学園の運動会を楽しみにしていた宮城さん。昨秋は「もう(食事の)味まで分からない」とがんの進行を明かしながらも、車いす姿で歌や踊りを指揮していた。

 宮内庁関係者によると、親交の深かった上皇ご夫妻は23日までに同庁上皇職を通じ、学園に弔意を伝えられた。

 上皇ご夫妻は76年から宮城さんと交流を持ち、上皇后さまが園生の描いた絵画の展覧会に足を運ばれるなどしていた。近年では2018年11月、ご夫妻が学園を訪れて宮城さんと再会し、園生の活動を見て回られた。