ジャクソン・ブラウンの最高傑作『レイト・フォー・ザ・スカイ』

引用元:OKMusic
ジャクソン・ブラウンの最高傑作『レイト・フォー・ザ・スカイ』

OKMusicで好評連載中の『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』のアーカイブス。イーグルスの大ヒットナンバー「テイク・イット・イージー」の作者のひとりである、ジャクソン・ブラウンの3rdアルバム『レイト・フォー・ザ・スカイ』を取り上げる。70年代前半の日本でのシンガーソングライター・ブームのきっかけを作ったジャクソン・ブラウン。74年に発表された本作のヒットで、日本でもファンは激増した。そんな本作はシンガーソングライターというジャンルの中にあって、キャロル・キングの『タペストリー』やジョニ・ミッチェルの『ブルー』などに比肩し得る最高の成果のひとつである。
※本稿は2016年に掲載

ロックフェスとヒッピー文化

60年代後半、アメリカではロックフェスティバルに人気が集中していた。特によく知られているのは、ニューヨーク郊外で開催された『ウッドストック・フェスティバル』だ。今では日本でもフェスが定着しているので珍しくはないが、当時30万人以上が集まった『ウッドストック』の映像を観た時、その観客の多さに僕は腰が抜けそうになった。

同じ頃、西海岸のロサンゼルスやサンフランシスコでも、大掛かりなフェスが開催されており、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、スティーブ・ミラー・バンド、モビー・グレイプなど、サイケデリックロックのグループが人気を博していたのだが、これら西海岸のフェスは、日本に向けて映像で紹介されることが少なかった。当時の西海岸はドラッグの規制が緩く、ヒッピーたちがマリファナやLSDでキメて、奇妙な行動をすることが多かったため、日本では教育的配慮からそういった映像の公開を自粛していたのではないかと僕は推測している。

ヒッピー文化は凄惨を極めたベトナム戦争への反発から生まれたものであり、ベトナム戦争が終結しつつあった72年頃から徐々に衰退していくのだが、“ラブ・アンド・ピース”“長髪にジーンズ”“ウーマン・リブ”“原発反対”“自然へ帰ろう”“フリーセックス”などのスローガンやライフスタイルは、アメリカ全土だけでなく世界中に広がっていく。特に日本では高度成長期が終わり、アメリカの若者たちと似た環境にあったためか、西海岸発の文化は大いに浸透し、80年代に入っても長髪&ジーンズ、サーフィン、ジッポライター、ウエスタンブーツ、ウエストコーストロックなどが流行した。